
全財産500円から世界の頂へ。冒険家・西川史晃が語る「絶望の淵で見つけた、夢の叶え方」
「今はキャンピングカーに住んでるんですよ。家を持つ代わりに、山の道具を置く倉庫だけ借りて。ホームレスみたいなもんですけど、めちゃくちゃ快適ですよ」
画面越しに快活に笑う西川史晃さんの背景には、整然と並んだ登山ギアと、生活の拠点である車内のテーブルが見える。かつて環境保護団体の職員として、組織の論理に馴染めず「仕事ができない奴」と蔑まれていた男は今、日本人でも数少ない「セブンサミッター(七大陸最高峰制覇者)」として、次なる極地、北極・南極点を含む「エクスプローラーズ・グランドスラム」を見据えている。
30歳で山を始め、43歳で世界の頂を極めるまでの13年。そこには、単なる美談では片付けられない、血の滲むような挫折と執念があった。
もくじ
劣等感に塗れた20代と、山で見つけた「ギャップ」の法則
西川さんのキャリアのスタートは、理想と現実の乖離に苦しむ若者のそれと同じだった。大学卒業後、自然を守る技術者を認定する資格を活かして環境保護団体に就職。川の自然再生など、やりたかった仕事に就けたはずだった。しかし、3年目に転機が訪れる。
「街づくりの部署に異動になり、そこで上司にコテンパンにやられました。僕は言われたことをそのままやるのが苦手で、つい『もっとこうした方がいい』と勝手に動いてしまう。結果、仕事を外され、職場で孤立しました。20代の頃は、自分に全く自信が持てなかったんです」
そんな彼が30歳のとき、ふとしたきっかけで始めた山登りが、人生のOSを書き換えた。
「最初は趣味でした。でも、日本最後の秘境と言われる『雲ノ平』に行きたいと思い、1泊、2泊と少しずつ経験を積んでいったら、2年半で辿り着けたんです。その時、気づいてしまった。『行く』と決めて、必要な情報(ルート、装備、日数)を集め、現状とのギャップを埋める作業を淡々とこなせば、どんな場所でも行けるんだと」
その思考の延長線上に現れたのが、世界最高峰・エベレストだった。
全財産500円からのエベレスト挑戦
33歳のとき、西川さんはエベレスト登頂までのロードマップを引いた。しかし、現実は厳しい。登頂費用には約1,000万円が必要で、遠征には2ヶ月の休暇がいる。
「会社員を続けていたら一生無理だと思いました。だから、会社を辞めて独立する準備を1年半かけて行い、34歳で退職しました。冒険家になりたかったわけじゃない。エベレストに行きたかったから、手段として独立を選んだんです」
2020年、満を持してエベレスト遠征の契約を済ませ、トレーニングに励んでいた西川さんを、未曾有のパンデミック「新型コロナウイルス」が襲う。遠征は中止。資金集めに奔走していたため、数ヶ月間収入はゼロ。
「配送ドライバーを始めましたが、報酬が入る前にカードが止まりました。38歳、全財産はわずか500円。夢どころか、今日食べるものにも困る状況です。情けなくて、夢も希望もない中で生きていても仕方ないと思った。 もう生きていても仕方ない、山で死のうと思いました」
しかし、死を覚悟して向かったはずの山が、再び彼を救う。静寂の中で己と向き合い、「まだ死ねない」という根源的なエネルギーが湧き上がってきたのだ。
「そこから2週間で自分の経験を電子書籍にまとめました。それが売れたことで仕事が舞い込み、出版プロデューサーとしての道が拓けた。必至に働き、またたくさんの方に応援してもらい資金を作り、全財産500円だった2年後の2022年、僕はエベレストの頂上に立っていました」

デナリの死線。単独行で突きつけられた「死」のリアル
セブンサミッツ達成への最後にして最大の障壁となったのが、北米最高峰デナリ(旧マッキンリー)だった。2023年、西川さんは単独(ソロ)でこの山に挑む。
「ハイキャンプからサミットプッシュ(頂上アタック)に出た日、体調は万全だと思っていました。難所の『デナリ・パス』を越え、頂上が見えた瞬間、頭の中で報告会のシミュレーションまでしていたんです。『登れた!』と確信した。その直後でした」
突如、全身が激しく痺れ、力が入らず、呼吸も苦しくなった。重度のハンガーノック(エネルギー切れ)だった。

「18日間の行動で体重が7kg落ちていた。アドレナリンで気づかなかっただけで、体は限界を超えていました。誰もいない雪山で、呼吸ができなくなり、視界が狭まっていく。本当に死ぬんだな、と思いました。たまたま近くに氷の洞窟を見つけ、這い蹲って逃げ込んだ。そこで奇跡的に、旗を立てに来たガイドチームに遭遇し、ロープに繋いでもらって下山できたんです」
この敗退は、西川さんに「チームの重要性」を教えた。 「失敗は、自分に足りないものを教えてくれる伸び代。1人で無理ならチームを作ればいい。1年かけて課題を分析し、仲間を集め、2025年の再挑戦でついに登頂を果たしました。山頂で一人になったとき、同じく単独でこの山に消えた上村直己さんに想いを馳せました。不思議な縁を感じましたね」

職業・冒険家。固定費を捨て、夢に全振りする生き方
セブンサミッツを達成した今、西川さんの肩書きは「出版プロデューサー」から「冒険家」へと変わった。
「デナリで死にかけたとき、この命は自分のやりたいことにしか使わないと決めました。だからビジネスはやめたんです。今は家を持たず、固定費を最小限に抑えて 、スポンサーの社長さんに借りたキャンピングカー一台で全国を回りながら講演活動をしています。 講演料で十分生きていけます。残ったお金とスポンサー費は全て、次の冒険に充てています。資産や老後の資金はありませんが、全く不安はありません。 」
現在の目標は、世界で50名程度しか達成している人がいない 「エクスプローラーズ・グランドスラム」。 「グリーンランド550kmを横断し、その後、メスナールートでの南極点900km、北極点を目指します。 総予算は1億2,500万円。今の僕にはそんな大金ありません。でも、エベレストのときもそうだった。『行く』と決めて言い続けて行動し続ければ、仲間が増え、協力者が現れ、道は拓ける。」

極地を支える信頼のギア「NORRØNA」falketind Power Grid Hood
過酷なデナリ遠征で、西川さんの肌を守り続けたのがポーラテックのパワーグリッドを使用した「NORRØNA(ノローナ)」のウェアだった。

「特にパワーグリッドのベースレイヤーは、デナリの1ヶ月間、寝るとき以外はずっと着ていました。氷点下の強風から、ソリを引いて汗だくになる猛暑まで、温度調節が極めて難しい環境下で、このウェアは驚くほど汗を外に逃がしてくれる。どんなシーズンでも、これ一枚あればなんとかなるという安心感があります」
取材中、西川さんは肩の部分が少し破れたウェアを見せてくれた。 「シェルを重ねても着膨れせず、ヒートアップした時はこれ一枚で歩ける。次なる極地遠征でも、間違いなく一軍の装備です」

「好きなことを『おかわり』してください」
最後に、キャリアや将来に悩む『HYAKKEI』読者、特に20代・30代へアドバイスを求めた。
「『夢が見つからない』という相談をよく受けますが、夢は探すものじゃない。僕だって最初から冒険家になりたかったわけじゃないんです。ただ山登りが好きで、楽しくて、それを何度も『おかわり』した。そうやって好きなことを繰り返した先に、ふと立ち上がってくるのが夢なんです。
ビジネスになるかとか、親がどう言うかとか、そんなことは後回しでいい。まずは自分がワクワクすることを、純粋に『おかわり』してみてください。その体験は、いつか必ずあなただけの価値に変わりますから」
編集後記
西川さんの言葉には、死線を越えた者特有の静かな説得力がある。全財産500円のどん底から世界の頂へ。そのステップは、誰にでも応用可能な「現状と理想のギャップを埋める」という泥臭い作業の積み重ねだった。
西川さんの次なる挑戦、グリーンランド横断の資金調達も現在進行中だという。彼の生き方に共感した方は、ぜひ公式サイトやYouTubeをチェックしてみてほしい。
西川さんのYouTubeチャンネル「Explorer」
https://www.youtube.com/@explorer-nishikawa
西川さんの書籍一覧

.HYAKKEIを運営する会社の代表
.HYAKKEIではディレクター兼フロントを担当。仕事中心の生活で、煮詰まった時に行くソロ登山が趣味。
ストレス度合いに応じて登るコースの難易度が変化し、日帰りの丹沢ハイクから、厳冬期のエベレスト街道まで経験。