• INTERVIEW(インタビュー)
  • 人々へのインタビュー記事一覧です。自然に魅せられたアウトドアフリーカー、自然と共に生きるアスリート、熱い信念を持つオーナー等、その想いやヒストリー、展望など、写真と共に丁寧にお伝えします。今後の人生の選択肢のひとつとなるヒントが、見つかるかもしれません。

海を耕し、山に学ぶ — 「オーシャンズ」に込められたサーファー・ファーマーの哲学

パタゴニアが「サーフ」カテゴリーを「オーシャンズ」へ拡大し、海を愛する人々(オーシャンピープル)を巻き込む活動を加速させています。このミッションを体現するのが、プロサーファーでありながら、無農薬で米や野菜を育てる田中 宗豊(たなか むねとよ)さんです。

田中さんの生き方は、海と山の恵みがどう循環しているかを教えてくれます。パタゴニアの新たな哲学を、彼の半生から深く掘り下げてみようと思います。

ハワイの波で思い出した「サーフィンの楽しさ」

プロサーファーとして20歳で日本プロサーフィン連盟(JPSA)プロ資格を取得し、競技中心の生活を送っていた田中さんですが、25歳の時に大きな挫折を経験します。JPSA主催のジャパンツアーで結果が出ず、競技への情熱が空回りする日々でした。

「それは、結果を求めすぎて自分で絡め取られてる状態を作り上げてしまったんです。楽しむことを忘れ、数字、結果、勝敗にこだわりすぎて、もう嫌なやつになっていた。やってても面白くないし、不連鎖の方に入ってしまっていました」

この消化不良の不安を抱えて向かったのがハワイだった。当時は、雑誌に載るための写真を撮り、スポンサー収入を得ることがプロサーファーの主な仕事。田中さんも「写真を撮ってもらわなければならない」という強迫観念に囚われていました。

転機はこの年のハワイ滞在中、偶然訪れます。先輩に誘われ、競技志向とは無縁の、ローカルのサーファーが楽しむ小さな波のポイントに行ったのです。

「そこはもう、何もない、ファンサーフしかない、グッドバイブスしかない場所だったんです。ハワイの日常の中にサーファーとしての当たり前があったのに、僕には見えていなかった。結果ばかり追っていたから。それに気づいた瞬間、稲妻が落ちたような衝撃を受けました。『あぁ、これだったんだ』と、忘れていたことを思い出した」

田中さんはコンペティションをやめ、この環境に身を置きたいと強く願います。しかし帰国チケットは2日後。一度日本に帰り、手元に残った残金8万円を握りしめて、沖縄行きの格安チケットを購入。当時専門誌だった『サーフトリップジャーナル』の撮影の話が友人経由であったこともあり、「しばらく帰らない」と決めて再び旅に出ました。

沖縄とアイランドスタイルの哲学

沖縄に渡った宗豊さんは、「なんくるないさ」のアイランドスタイルにドはまり。特に彼の心に響いたのは、「なんくるないさ」が、ただ楽観的な意味ではなく、「一生懸命に頑張っていれば、なんとかなる」という努力と信念の上に成り立つ哲学だったこと。

「たとえお金がなくても、自分の得意なことを人にしてあげれば、その人はその人の得意なことで返してくれる。助け合いの精神を教えてもらったんです。これに打ち抜かれて、もうコンペは辞めようと決意しました」

彼はスポンサーへの建前として、JPSAへの年間予算を使い、海外のビッグイベントにエントリーするという形に置き換えることで、競技の世界から身を引きます。

「お金の使い方を切り替えたんですよ。同じお金だけど、行動を変えた。自分のやりたいことをやっているから楽しいじゃないですか。勝ち負けではなく、世界レベルの現場に身を置く喜びが大きかった」

マーガレットリバーでの世界大会に出場後、1200キロ北上した砂漠地帯に良い波が立つと聞き、車を走らせた。ウェスタンオーストラリア 2000年代初頭

この頃から、宗豊さんはハワイでローカルと深く付き合い、一人で動くというジプシー的な生活を始める。自分の乗りたい波、本当のサーフィンが見えてくるようになり、誰かに撮ってもらうという意識も消え去った。

すると不思議なことが起こる。意識せずただ波に乗り続けている宗豊さんを、フィルム代がかかる当時のカメラマンたちが、無駄打ちをものともせずシャッターを切り始めたのだ。

「何か上手い下手とかじゃなくて、溶け込んでたんでしょうね。それが世界的サーフィン誌の見開きに自分の名前入りで載ったんです。僕が知らない間に(笑)。そういう不思議なことが起こり出した。この向き合い方ができるようになったのは、25歳でドロップアウトしてから、約3年後の28歳から30歳ちょいくらいの、一番脂が乗っていた時期ですね」

海外と日本を半分ずつ、といった生活を送っていた2000年代初頭~中期。ホームポイントの波でリラックスサーフィンを楽しむ宗豊。 

サンセットビーチのビーチフロントに住むローカルサーファーのもとに居を置き、サーフィンに明け暮れる毎日。波の穏やかな日は食材を確保するために沖に出た。ハワイ・オアフ島2000年代初頭

この経験こそが、宗豊さんのサーフィンスタイルと、人生における「アイランドスタイル(その土地の生き方、暮らし方、カルチャー)」の基盤となった。

「農業」に託されたセカンドキャリアの不安

とはいえ当時はサーフィン自体がマイナースポーツ。プロサーファーとしての生活と、未来への不安は常に隣り合わせでした。写真を通してスポンサー収入を得るスタイルに限界を感じ始めた田中さんに、新たな「道」が示されます。

「30歳の時に結婚して、新たに家族を持つことになり、「ライフスタイル」へとフォーカスが変わりました。2009年くらいに、なんか知らないけど『これから農業の時代だ』と、天から啓示が降ってきたんです(笑)。今でも不思議です」彼はその直感に従い、徳島県海陽町の山に入ります。そこで見つけたのは、棚田のような石垣が積まれた「耕作放棄地」。田中さんにとっては「楽園」のような、隠された場所でした。とはいえ素人農家として、いきなり無肥料・無農薬で理想を追い求め過ぎ、大きな犠牲を払い続けた結果、「今だから言えることですが、正直、地獄を見ました。何事も大切なのはプロセスとバランスなんですね。」と田中さんは苦笑いしながら振り返ります。

全くの素人から手探りで始めた農業。山の耕作放棄地を開墾してお米つくりに挑戦したが、結果は獣たちに食い尽くされて全滅。2012年

山の耕作放棄地の開墾作業に息子を連れて向かう。2012年

右も左もわからない中、小さな管理機で耕作放棄地を開墾する宗豊。2013年

宗豊が暮らす徳島県海陽町宍喰地区を霊峰・鈴ヶ峰から眺める。

しかし、この農的暮らしこそが、彼のサーフィン観とパタゴニアの哲学を結びつけるきっかけとなっていきます。

海にいながら山を感じる物作り

田中さんの活動の核には、「水」の循環の物語がある。これは、海と山の恵みがどう結びついているかを実践を通じて学んだ田中さんが知る領域だ。

「植物を育てるには水と土がとても大切です。水は空から降った雨が山を降り、川に流れてうちの農場に入ってくる。そこでお米やハーブを作って食料を確保する。そして農場から排水となって川に戻って海に流れる。そこで僕らはサーフィンさせてもらっている」

彼は、この循環を体現するように、田中さん自らが削るサーフボードの芯材に、徳島県の銘木である「木頭杉」などの地域材や、出所が見える国産材などを積極的に使用しています。

宗豊が製造する「Munetoyo surfboards」。このサーフボードの芯材には徳島の銘木・木頭杉が使われている。

寝そべったまま波に乗るパイポボードと、手に装着して体で波に乗るハンドプレーン。木と水の関係をシンプルに楽しめる道具だ。

宗豊の工房「ファンサーフ ファクトリー」での作業風景

海にいながら山を感じる。山にいながら海を感じる物作りなんです」彼の自然体験プログラムは、家族や地域の人々と共に行う無農薬農法を通じて、この水の恵みと、昔ながらの農法の知恵を伝えています。「労働があるからご褒美をよりありがたく感じられる」という彼の持論の通り、土と触れ合う体験が食の喜びを深めています

田中家が暮らす宍喰地区を流れる宍喰川。この水がここで暮らす人々の生活を支え、海に流れ出る。

プロトタイプ・スーツとパタゴニアの哲学

田中さんがパタゴニアと繋がったきっかけは、2013年に始まったハワイ・マウイ島の巨大な波「ジョーズ」へのパドルイン・サーフィンの挑戦でした。命の危険があるその挑戦のために、彼はまず伝説のシェイパーにサーフボードの製作を依頼します。

しかし帰ってきた返信は“NO”。門前払いでした。「お前は命を守る装備があるのか?」と問われた田中さんは、当時まだ販売されていなかったインパクト・スーツが必要だと知ります。

「色々と調べた結果、パタゴニアが作っていると突き止めて、命を預ける道具はパタゴニアを選ぶと決めました」伝手を辿ってその思いをパタゴニアに伝えた結果、たまたまパタゴニア日本支社にサンプルとして届いていたプロトタイプのインパクト・スーツがあり、譲り受けたのです。これが、田中さんとパタゴニアの最初の接点となりました。

開発中のインパクトスーツを身に纏い、ジョーズのファーストセッションを終えた宗豊。2013年  photo : Tomoko Okazaki

ビッグウェイブポイントとして名高いマウイ島のジョーズへファーストアタックする宗豊。2013年3月6日   photo:Hiroyuki Saita

彼の生き方—物質的な豊かさではなく自然との共生を選んだ哲学—は、パタゴニアの「持続可能性」という理念と完全に一致していました。この道具をきっかけに、彼のサーフとファーム、そして暮らしの歯車が噛み合い、2017年からアンバサダーに就任することになります。

「”お百姓さん”という生き方」とオーシャンストアの役割

田中さんはプロサーファーという肩書きに留まらず、ファーマー、サーフボードビルダー、フィールドワーク講師など、「百の仕事を手にする」お百姓さんとして多面的な生き方を送っています。

「海に恩返しをしたい。自然と共に暮らしてきた先人の知恵や文化、それらを未来の子供たちに伝えたい

この使命を果たすため、パタゴニアのサーフストアが「オーシャンズストア」へとリニューアルされたことに、田中さんは大きな意義を感じています。

「オーシャンズ」への転換は、サーフィンという特定の活動に限定せず、海に関わる多様なライフスタイルを包括するパタゴニアの姿勢を示しています。田中さんの無農薬農法や、命を守るライフセービング活動、そしてビッグウェーブへの挑戦といった全てのフィールドワークが、「故郷である地球を守る」というパタゴニアの次の50年に向けたミッションと重なり、そのメッセージを体現しているのです。

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