北アルプスの最奥部、三俣蓮華岳とその東にそびえる鷲羽岳。2つの峰の鞍部に立つ山小屋が、三俣山荘。今でこそ多くの人が訪れるようになった黒部源流部の登山文化の始まりが、ここにあります。

黒部の主との語らい

”山小屋とは本当に楽しいものだ。末永く続いていってほしいものです。”

これは、“黒部の主”と呼ばれ、未開の黒部源流域を開拓し、三俣山荘・水晶小屋・雲ノ平山荘を建てた伊藤正一氏(1923-2016)が残した言葉です。

「あれは『源流の記憶』という写真集の出版記念講演会で言った言葉なんですよ、亡くなる半年ぐらい前かな。親父が言うと思わなかったからびっくりしました。山小屋サイテーだってずっと言ってたから。こんな商売早く辞めたい、俺は外国で暮らしたいんだって言ってた人なので(笑)」


と、いきなり暴露話をしてくれたのは、正一氏の長男、現在は三俣山荘と水晶小屋の小屋主を務める伊藤圭さん。

「たぶん親父は山小屋で会える人のことを言っていたんじゃないですかね。山小屋って、本当にいろんな分野の人に会えるんですよ。社長さんでも、国会議員でも俳優でも。単純に言えば、そういう人たちが一堂に会して話をしてるっていうのが面白いんだと思いますよ。それは“山賊”と登山者と親父が三つ巴になって話しているカオスと同じで」


圭さんが“山賊”と言ったのは、『黒部の山賊』のこと。伊藤正一氏は山岳書籍の名著と称されるこの物語の著者でもあるのです。

科学者であり、冒険家であり、写真家であり、文筆家だった正一氏を父に持った圭さん。1歳から高校生ぐらいまで、夏は三俣山荘を拠点に暮らしていました。普段は物静かな正一氏でしたが、山小屋の食卓では山や山賊の話などを家族や小屋番たちに語り聞かせるのが日常だったといいます。

「歳も離れていたんで、山の話と宇宙の話を聞く以外はあんまり関わらなかったですね」
と、少年時代を振り返った圭さんですが、一つだけ、ずっと心に留めていた話がありました。

伝説の道”伊藤新道”

それは、“伊藤新道”の話です。


「もとをたどると、この小屋は歩くと2日かかる場所、ヘリがない時代は建築が不可能だと言われていたんですね。“伊藤新道”は科学者だった父が、三俣山荘と雲ノ平山荘の建設のために、最短ルートを考案し、開拓した道なんです。」


正一氏が初めて三俣を訪れた昭和20年代、そこへ入山するためには上高地からか、烏帽子から行くしかなく、いずれも2日かかる道のりでした。黒部源流の野性的な自然と周囲の景色にすっかり魅了された正一氏。“山賊”たちの拠点となっていた猟師小屋(三俣蓮華小屋)を買い取り、山賊たちの助けを借りながら、山小屋建設の準備を進めました。

正一氏が山小屋建設のために命がけで作道し、1956年に開通した“伊藤新道”は、大町市の湯俣温泉と三俣をつなぐルート。これを使って、三俣・雲ノ平への資材運搬が始まり、1958年に湯俣温泉に湯俣山荘が建てられました。

その後、1959年に水晶小屋(1954年建設中に台風で崩壊)、1961年に三俣山荘、1963年に雲ノ平山荘が完成すると、大衆登山ブームも相まって多くの登山客が黒部源流を目指すように。伊藤新道も登山道として広く利用されるようになりました。

しかし、その後の度重なる大雨や台風で湯俣川の渡渉点に架けた複数の橋が次々と崩壊。圭さんが生まれる4年前、1973年に伊藤新道はやむなく廃道になってしまったのです。


「子供の頃からいつも、親父が”あの道どうしようかなぁ…本当にいい道なんだぞ”って言ってるのを聞いてました。初めて三俣から湯俣まで通しで歩いたのは高校1年生の時でしたね。その頃までは橋も2本は残っていて、シーズン中には道直しに入ったり。何らかの形で維持する努力をしていましたね。」


その時から“この道は面白いぞ”と思っていたという圭さん。いつしか、伊藤新道の復活の夢は父子の共通の夢となりました。

山と都会の狭間で揺れた少年時代

夏になると家族で三俣山荘に通っていた伊藤家でしたが、意外なことに、オフシーズンは新宿のマンション暮らし。多感な少年時代に、山と都会を行き来するという普通ではない生活を送った圭さんは、友達も少なく、精神的に不安定だったと言います。そして、その不安や孤独をパンクロックの世界に投影するようになりました。

高校を卒業する頃には独学で曲を作り始め、ギターを弾き、一時はアメリカにも渡ったという圭さん。10代後半から20代前半までは京都に住み、バイトで生計を立てながらオルタナティブロックのバンド活動に没頭しました。

そんな圭さんの転機は、24歳の夏。当時、固定した小屋番がいなかった雲ノ平山荘を手伝うために山に入り、アルバイトに来ていた女性と恋に落ちました。そして、翌年に結婚。

「結婚もしたし、ちゃんと働かなきゃと思って、音楽の方は一旦休んで、2人で水晶小屋やらせてもらおうと、父に相談して、そこから本格的に山小屋での生活が始まりました。」

水晶小屋の建て替え

圭さん夫婦が入った当時の水晶小屋は、客室兼食堂の12畳一間。そこに百名山ブームで毎日60〜70人の登山者が泊まり、ある雑誌には「強制収容所」と書かれてしまうような飽和状態でした。必然的に圭さんが建て替えを主導することに。

建築の知識も社会経験もゼロに近い中、手探りで資金調達から建築士との折衝、設計まで奔走しました。そうしてようやく建設の目処が立ち、工事を控え現地調査へ向かった矢先、乗っていたヘリが墜落。圭さんと敦子さんは奇跡的に助かったものの、パイロットと現場監督が亡くなるという大惨事に見舞われました。

水晶小屋の建て替え|「黒部源流の開拓者  伊藤正一を継ぐ者たち(前篇)|三俣山荘・水晶小屋小屋主 伊藤圭の道」の4枚目の画像

「俺たちも被害者だったんだけど、事故があったのは自分が悪いのかと思い込んじゃって。相当追い込まれましたね。山小屋は建てなきゃいけないし、社会からも怒られそうだし」


どん底の精神状態でありながら、熟練の職人たちの力を借り、ひたすらに建設工事を進めました。

2007年夏に完成した水晶小屋は、日本の伝統工法を駆使し、厳しい自然環境に耐える強靭かつ美しい建築に生まれ変わりました。さらに2017年にはバイオトイレを設置。より持続可能な機能を備えた山小屋となりました。

伊藤新道の復活に向けて

その後、2016年に正一氏が93歳で他界すると、念願だった“伊藤新道の復活”は、圭さんのライフワークとして引き継がれました。


「伊藤新道は、渡渉したり、温泉があったり、川の水も面白い色だったり、森には巨木があったり、そういう自然のグラデーションが楽しめる道です。この数年でエコツアー的に復活させようかなと思っていて、その一貫として2018年から専属ガイドを立てて、“伊藤新道探訪ガイドツアー”を試みています。」

調子が良ければ上りは6、7時間、下りは5時間ぐらいで三俣山荘と湯俣温泉を行き来できるという伊藤新道。とはいえ、半分が沢登りというハードなコース。登山文化が多様化する現在、圭さんは、万人が安全に通れるような登山道とは一線を画した形での復活を目指しているようです。

「山で働いていると、道直しに出て、暗くなってから帰ったり、道を外れて藪を漕ぎながら歩いたりする中で、けっこう危険な目に遭います。だけど、怪我をしたり、不測の事態にあっているうちに、自然と身に付くことがあるんです。あそこでドボンするから着替え持って行かなきゃいけない、あそこは滑りやすいからこの靴を履いて行かないといけないとか。それが僕は山と接するときの本質だと思うんですよね。

ただ、今多くの人が安全を優先にしていて、そう言った判断力を身に付けられるのかな、体感してるのかなと思うことがありますね。もうちょっと考え方の次元を変えていった方がいいんじゃないかなと思うんですよ。」

「そうした時に伊藤新道には、アドベンチャーの要素があるので、一言で言うと”判断力”を身につけられる。一般登山道にはないステップアップがその道でできるんじゃないかなと。実際にこえ〜とか思ってもらうだけでもいいと思うんですよ。そのために、過剰な修復はせずに、できるだけ自然に近い状態で復活させたいですね。」

“山小屋は楽しいところ”を目指して

一方、三俣山荘の当主として、“山だけじゃなくて、山小屋も楽しめるということを伝えたい”と表現者としてのセンスを生かしながら様々な工夫をしている圭さん。
その一環として、2階の食堂を夕食後に開放。テント泊の人も利用でき、黒部源流のスライドを見たり、圭さんが選曲した音楽を聴いたり、思い思いに過ごす事ができます。


「テントの人と山小屋の人って結構距離感があって、もったいないなと思っていて。お客さん同士で交流してもらって、テン場の人も次は山小屋も泊まってもらえればと思います」

多様な人々がそれぞれの目的を持って訪れる山小屋。時代とともに登山も山小屋のスタイルも多様化する中で、父・正一さんが“楽しいところです”と言った山小屋の本質を追い求め、歩み続けている圭さん。
その少年のような眼差しには黒部源流にロマンを追い求めた父・正一氏の情熱が吹きこまれているようでした。

三俣山荘、水晶小屋の建設や伊藤新道の詳しい内容について
「北アルプス黒部源流」の公式サイト
https://kumonodaira.net/index.html


(写真:and craft 臼井亮哉)

and craft みやがわゆき

信州を拠点に山と暮らす人々のなりわいと温もりを伝えます。

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and craft みやがわゆき

野鳥好きな両親の影響で、幼い頃から奥多摩や秩父の野山で遊び、大学時代は、北アルプスの山々を眺められる松本市で、山登りの楽しみを覚える。出版社、編集プロダクション、観光協会勤務などを経て、ライター・編集業を生業に。 現在は、長野市戸隠在住。二児の母として、今後は親子で登山が楽しみ。

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