望んでいたのは、毎日の「ワクワク」感

鳥たちの声で目覚め、透き通った空気を気持ちよく吸い込む。
日々、変化する季節を五感で確かめながら、工房へ向かう朝。
頭の中は、今、作ろうとしている木工家具のアイデアで一杯だ。

東京の西のはて、奥多摩で「家具屋 椿堂」を営む羽尾芳郎さんの一日は、こうして始まる。

望んでいたのは、毎日の「ワクワク」感|「憧れを現実に。普通の会社員だったカヌーイストが「至上の暮らし」を手にするまで。」の2枚目の画像
望んでいたのは、毎日の「ワクワク」感|「憧れを現実に。普通の会社員だったカヌーイストが「至上の暮らし」を手にするまで。」の3枚目の画像

「この工房にいると自分に正直でいられるんです。そんな毎日に満足しているし、楽しんでいる僕の背中を幼い娘たちも間近で見ていてくれている。今のスタイルは教育にもいいのかなって思いますね。現実問題では、注文が大量に来ても一人ですぐにやりきれないし、かといって作り置きしていたものがどんどん売れていくなんてこともありません。だから正直、ビジネスとしてはなにかと難しい部分もある。でも、とびきり美しい材を見つけた時や、地道に削り出していった材が形を表す時は、なにより楽しい。つくづく好きなことやっているんだなと毎日、実感していますよ」

オフには長年、趣味として付き合ってきたカヌーを漕ぐ日も多い。
ちょっとした急流から、静かな水面の湖まで。
カヌーを漕ぎ出せる水辺は車で15分も走ればいくつもあり、コース選びには事欠かない。
場合によっては木工の手を休め、近くの川でひと漕ぎしてからまた仕事に戻るなんてことも可能だ。

望んでいたのは、毎日の「ワクワク」感|「憧れを現実に。普通の会社員だったカヌーイストが「至上の暮らし」を手にするまで。」の7枚目の画像

自然豊かな土地では、日常の喜びも充実している。
寒い冬の間、ほんの少し日が長くなれば、春の訪れを実感して、気持ちが上がる。
庭にタラの芽を見つけたら、お昼には天ぷらにして食べ、この上ない幸せを感じる。
身の回りにある自然の、ほんのわずかな変化が、とても興味深く、面白く、愛おしい対象なのだ。

100%の情熱で打ち込める仕事と、美しい自然に囲まれた心豊かな生活。
人が羨むようなこの暮らしこそ、20年ほど前、羽尾さん自身が夢に描いたライフスタイルそのものなのだという。

将来を決定づけた、自分の中の「違和感」

都会のオフィスで働き、コンクリートジャングルの中で生きる人々にとっては、彼のような生活リズムをちょっと想像し難いかもしれない。
でも実は、羽尾さんも大都会での暮らしや仕事を経験した一人。
学生時代から感じ始めた「ちょっとした違和感」に対して正直に向き合い、自分の将来をどうデザインしていくかを見つめ直した結果、今の生活を手に入れたという。


「僕の親は、良い大学、良い会社に入って、安定した生活をっていう流れを望んでいたと思います。自分もそれをなんとなく信じて大学まで進み、その先を真剣に考えてはいませんでした。でも、世の中が快適になる一方で、自分自身も不幸というわけじゃないけど、なにか居心地の悪さを感じていることに気づいたんです。もともと、小学生の頃から椎名誠さんとか野田知佑さんの本を読んで、言ってみれば素朴で野暮ったい生活をしながら、カヌーや釣りを楽しむというスタイルに漠然と憧れていたんですよね。それで深く考えることもなく大学のカヌーサークルに入ったのが、現在の生活の発端です」

将来を決定づけた、自分の中の「違和感」|「憧れを現実に。普通の会社員だったカヌーイストが「至上の暮らし」を手にするまで。」の2枚目の画像

緑が萌え、すべての植物が香り立つような春の時期。
大学一年生の羽尾さんはカヌーに乗るため、JR御嶽駅(青梅駅から奥多摩方面へ7つ目の駅。トレッキングや釣りのスタート地点として人気)へと向かった。
駅から一歩、外へ出た瞬間、天から何かが降ってくるような衝撃を受けたという。

「周りの自然がもう眩しくて。それと空気の甘さに一瞬でやられてしまいましたね。それまでモヤモヤしていた感覚が急にはっきりしたような気分。降ってきたのは、やっぱりこういう空間や時間が”好き”なんだなっていう明確な認識ですよね」

それからの大学生活は自然の中でのカヌーが中心。
合宿所になっていたボロボロの山小屋で寝泊まりし、たまに大学へ行くというサイクルのなかで、大人になってもそんな生活ができないものかと夢想するように。

そんな時期に、ある木工家具の紹介記事を雑誌で見た羽尾さん。
一人の人間の力で、これほど美しく実用的な立体物を作れることに、心を動かされたという。
同時に、「木工職人」というあり方が、大自然の中で暮らす生業として、現実的な目標にもなっていった。

木工で生計を立て、自然とともに生きるという自分の願望は本物なのか。
そんな自身のモチベーションを確かめる目的もあって、大卒後は大手家電メーカーに就職。
週末は民間の木工スクールに通いながら将来に備え、平日は都心のオフィスで営業職としてがむしゃらに働き、独立時のためにひたすら貯金を増やしていった。

当時は、羽尾さん曰く「窓もないようなツインタワーに吸い込まれていく」毎日。
結果的に5年間、会社勤めを果たしたが、退職寸前の時期は精神が破綻間近だったという。

「会社には行くんだけど、毎日完全に抜け殻状態(笑)。少しも充実感を感じられなくてもう体が動かないんですよね。あらためて、給料をもらうためだけに居心地の悪い場所で過ごすのは人生の時間がもったいないなと思ったんです。

極端に言えば、明日、自分が生きているかだって誰にもわからない。それなら力の限り、”好きなこと”に集中し、それを仕事にしたいという自分の気持ちを再確認しました。生活していく上で苦しさや厳しさは当然ありそうだけど、それが生きている実感にもつながるんだろうと。こういう流れだったので、次の選択に迷いは少しもなかったんですよね」

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大切なのは、日常の違和感を見逃さないこと

会社勤めのあいだに、山中の工房となる物件探しにも成功。
奥多摩近辺で工房を探したのは、都内に勤めながらでも週末にアプローチできる便の良さから。
それに、奥多摩の水の美しさ、透明感が、住んで、働く場所にふさわしいと感じさせてくれた。
退社後は1年間、職業訓練校で技術を磨き、職人としてスタートするためのハード、ソフトもようやく揃った。

こうして「家具屋 椿堂」は2007年にオープン。
14年には青梅市から奥多摩町に工房を移し、さらに自然の濃いエリアで、こだわりの家具を作り続けている。
近所の材木屋さんにも恵まれ、裏山の木材を利用して商品として売る、というサイクルも軌道に乗ってきた。

大切なのは、日常の違和感を見逃さないこと|「憧れを現実に。普通の会社員だったカヌーイストが「至上の暮らし」を手にするまで。」の3枚目の画像

言ってみれば、学生時代に描いた将来が現実のものとなっているわけだが、こうした「今」がある理由について、本人はこんな解釈をしている。

「木工に魅了されてからはこれで身を立てるんだと、根拠のない確信だけが自分を支えてきた。だからいきなり木材は買うわ、工房は借りるわ、工作機械は買うわで、どんどん先へ進んでいきました。家具作りをやりたいなんて知り合いに言うと、まだ何も始めていないのに、じゃあ家具を作ってほしいと注文を受けたりして(笑)。

振り返ってみれば、自分で強引に流れを作ってきた感じもあるし、周囲に縁と運がやってきてくれたという感じもあります。いずれにしても、いつもつきまとっていた日常の違和感をごまかさず、その正体は何なんだと考え続けたことがすべての始まりだったと思いますね。誰だって真剣に行動すれば、なりたいものに近づけるんですから」

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家具屋 椿堂
〒198-0104 東京都西多摩郡奥多摩町丹三郎121-5
Fax: 0428-85-1503

椅子やテーブルなど羽尾さんの作る家具が展示された工房兼ギャラリー。家具の注文やギャラリー見学の予約は下記のウェブまで。
http://www.tsubakidou.com
miguel.

編集と文章と写真。

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この記事を書いた人

miguel.

宇都宮浩、曽田夕紀子による編集チーム。企画立案から編集、ライティング、撮影までを行う。奥多摩と御茶ノ水に拠点を持ち、TOKYOハイブリッドライフを体感しながら、本づくりを実践。奥多摩ローカル紙『BLUE+GREEN JOURNAL 』は、年2回、春と秋に発行。

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