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「モラル」と「マナー」を考えること、それは美しいキャンプを成立させること

野外で過ごす他人と他人。彼らを幸せにつなぎ合わせる二つのものが、モラルとマナーです。野外におけるこの二つはいつでも隣り合わせであり、同じようでいて同じではないもの。そしてこれは、非常に基準が難しく、常に誰もの課題になっています。これから夏を迎え、キャンプやフェスもより盛んに。そんな時だからこそ、キャンプにおける「モラル」と「マナー」について今一度考えてみたいと思います。

「モラル」と「マナー」の違い ~日本のキャンプは高い道徳心で成り立っている

一般的な言葉の定義でいえば「モラル」とは倫理であり道徳ですから、いわば人の道として守るもの。一方、マナーはそれぞれに任された行儀であり作法のことです。

では、キャンプにおいてこの2つはどう違うのでしょう?

まずは「モラル」。
私は、日本におけるキャンプは「日本人の持つ道徳意識の高さを証明するもの」と声高らかに伝えたいと思っています。

だって、私たちにとっては当たり前の光景になっていますが、不思議に思いませんか?

目の前に贅沢な物品を晒し、しかもそれが常に放置のままなのに、何も起こらないのです。買い物に出かけることも、遊びに行くことも何らためらいがない。でもみなさんそれを不安に思わないじゃないですか。

家なら鍵をかけますが、キャンプ場にはそんなものもなければ、そんな意識すらない。その互いの信頼感たるや、これは本当にすごいことです。高い道徳の意識がなければ成り立たないことでしょう。

ある外国の方にこの状況を聞いてみたとき、こんな返事が返ってきたことがありました。「はっきりいえば、こんな状況なら盗み放題、盗まれ放題となっても仕方ない。放置しているのが悪い、となるのが自分たちの常識。それが起きない日本人のリテラシーは尊敬すべきことだ」と。

つまり、日本のキャンプは「道徳心=モラル意識の高さ」の上に無意識で成り立っている、素晴らしい行為なのです。これは世界に誇っていいことでしょう。

マナーは相対的な価値観の違いであり、とても難しいもの

一方、マナーはどうでしょう。

おそらく誰にとってもややこしいのがこちらです。モラルというのは法令順守と同様、ある種の絶対的な基準があって、やっていいこと、やってはいけないことがおおよそ誰にとっても明確です。

ところがマナーは、自分がいいと思ったことが他人には迷惑となる場合や、他人のやっていることが自分だけ気になってしょうがない。というような、曖昧でいて、そして相対的な判断基準であるがゆえ、その価値観の違いからトラブルにまで発展してしまうことが多いわけです。

トラブルの元はだいたい2点。

まずは「音」の問題です。
いちばん言われるのは「昼夜のどんちゃん騒ぎ」ですが、よく考えればこれはマナーではなくモラルの問題として考えるケースです。つまりマナーの範疇を超える問題外の行為。静かな住宅街でどんちゃん騒ぎをしないのと同じです。

マナーに話を戻すと、例えば夜の会話でしょうか。たき火を囲んでのこの時間、多くの人にとってのキャンプのハイライトです。その一方で、しっかり睡眠を取りたいのにこの周囲の声が気になって眠れなかった、といった経験をされた方は実に多いと思います。

日中だと子供の大きな声や、ペットの鳴き声というのもよくマナーの問題であがります。静かなキャンプに来たはずなのに、騒ぎまわる子供の声やペットの吠える声が気になってしょうがない。逆に放置側からすれば、自然の中で遊ばせていんだからそんなのは当然だろう、と、やはり互いの価値観のぶつかり合いがあります。

そして音の次となるのが「光」。
あまり好きな言い方ではありませんが「光害=ひかりがい」という言い方もあります。何もしなければ真っ暗に近い野外。明かりはその不安要素を消し去り、当然いろいろな安全配慮の確保に繋がります。つまり必須の事項です。

一方、過剰な明かりはやはり周囲の安眠の妨げになったり、野外における大きな価値である星空を遮ることになります。ランタンによってはその発する「シュー」という音が光とともにうるさいと感じられることがあるなど、これもまた難しい問題を擁しています。

私のイライラがなくなった瞬間

私もキャンプを始めたころ、自身とても神経質なのでとにかくまわりの出来事が気になって、実に落ち着かなかったという経験はありました。特に音は気になって気になってしょうがなかったです。そう大きな音で会話していないのに、そのお隣さんの話声にイラついて眠れなかったこともしばしば。

そんなある時でした。
秩父のキャンプ場でのことです。

私たちは家族、お隣さんはサラリーマンらしき方が二人。夜の10時消灯。お隣さんはお酒を飲みながら多少笑い声が出るくらいのボリュームで会話。やはり私はそれが気になって、1時間ちょっと寝付けずにイライラしていました。

ところが変化が起こったのはそれから1時間の間。否応なしに聞こえてしまっていたその会話に、いつのまにやら私自身もついついのめりこんでしまったのです。内容は主に話していた方の半生だったのですが、彼の生い立ちから苦学生のころの話、社会人になってからの奮闘、奥さんとの出会いと恋、そして結婚、お子さんの出生、現在の地位……。最初は「いつまで喋ってるんだ!」が、とうとう「次はいったいどうなるんだ!? もうちょっと聞きたい……!」に。そして知らない間に眠っていたのです。

翌朝。お隣さんと気持ちよく朝の挨拶をかわせました。もし最初の感情だったら顔を見るのも嫌だったでしょう。でももうなんだか他人ではないような気がしてしまうくらい、気持ちが近づいていました。

「そうだ、自分の心持ちを少し変えれば、もしかしたらイライラしなくて済むのではないか。我慢ではなく寛容であれば自分自身の気が楽になる。だって、初めて会った他人同士。野外では自分の我を通してだけでは成り立たない。互いを寄せ合うことは、自分からでも必ずできる」

それからは、だんだんと多少のことは気にならなくなりました。サイトの中を知らぬ子どもが走り抜けたら「おい、待て! 素通りするならおじさんと遊んでからいけ!」とか冗談で言うようになりましたし、周囲の光で夜空が見えないときは進んで自分が暗い場所へちょっと動けばいいだけのことと考えますし、隣の会話に至っては多少ボリュームが高くてもいまや子守歌くらいになったほどです。

まずは許すこと、寛容になり、そして自身の価値観を示す

先ほども言いました通りマナーというのは相対的なものです。どちらがどう思うかでそのシーソーは上がったり下がったり。

どうでしょう、私からひとつ提案です。
みなさん、こういう基準にしてみては。

「2回までは許す」

まずは、「自分が寛容」になってみませんか?
心の中で2回ほど寛容になる。そしてその後はいきなり注意とかではなく、いったん自分の価値観を示す。「すみません、私たちはできたら『キャンプの夜は静かに過ごしたい』と思っています。どうかご理解お願いします」と。

キャンプで野外を過ごすというのは、多様な価値観を許しあうという前提のもとで成り立ち、そしてそれを共有ができることが参加資格です。これができないのならお互いを隔てるものが何にもない野外にて、同じ空間を過ごす権利すらありません。これを示し合うのが「所作」であり、英語でいう「マナー」は、本当はこちらのことではないのでしょうか。

所作であるマナーは他人に示すもの。どんなに格好がいいサイトを作っても、それに見合う所作がないキャンパーであっては、他人が魅力を感じることはありません。

モラルとマナーで示す、世界で最も美しい日本のキャンプスタイル

某アウトドア系の雑誌はそれまでほとんど触れることのなかったマナーについて、さりげなく啓蒙し始めています。また、歴史ある某フェスもそのモラルとマナーの観点から大きく出発をし直しました。アウトドアにおける多様な価値観が急速に広がっている今だからこそ、モラルやマナーが再注目されている時なのかもしれません。

キャンプ場という場所にはキャンプ場の、そして一般常識としての二つの「モラル」があり、それを遵守するのが「リテラシー=道徳心」。そして、その場所でキャンパー同志が互いの価値観を寛容に認め合う行為が「マナー=所作」

世界で最も道徳と所作が美しい、日本のキャンプスタイル、アウトドアの過ごし方。

もっともっとみんなで美しくしていきませんか。

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