【第2回】旅するように、日々を暮らす|「JRバスの異変」
「異変」
ゲストたちは、京北に来る唯一の手段である、京都駅からのローカルバスに乗って、山道をゆられながらやってきます。
最初に異変を感じたのは、京都駅と京北を結ぶJRバスの運転手さんでした。
「あれ、外国人が、なぜか乗っている」
「途中の観光地の高雄までならわかる。しかし、なぜ、京北へ…」
「絶対に行き先、間違えてるよ」
その外国人とは、京北の地へとやってくる我々のお客さんたちです。そこに運転手さんは果敢に働きかける。かけてしまう。
「ちょっと、あの。京北、何モナーイ。ココで(高雄)オリなさーい!」
押し問答の末、何とか京北にたどり着いたオーストラリアの夫婦は、
「間一髪。ノー!ワタシ、KEIHOKU!!とこっちも叫ばなかったら、危なかったわ」と語りました。
そう、それだけ京北とは、地元の人しか行かない場所だったのです。
タイを旅するがごとく
あるいはこんなこともありました。
今日は、バンコクからのゲストがやってくる日。片付けも終えて、今か今かとそわそわ待ち構えます。
すると、携帯の着信音が鳴りました。
狼狽した、タイなまりの英語が聞こえて来ます。
「キィ!キィなのか?」
これは、Kei。つまり僕のことでしょう。意外とこれをケイ、と一発で読める海外の人は珍しいのです。
「そうだ。キィだ。どうした?」
「悪い。手違いで、バスに乗り遅れたよ。それで、俺たちの荷物だけ先に着くから」
「え?どういうこと?荷物だけ?」
「じゃあ、またね!」
本当にここは、日本なのだろうか。すでに、タイ的テリトリーにこちらも招かれたような、不合理な展開。乗り遅れたのに、なんで荷物だけ乗ってるのだろう……
すると、10分ほどしてまた電話がかかってきました。
「JRバスのセンターですが、あのお客様の荷物が、最後部座席にごっそり残っておりまして…。スーツケーツと、リュックと、しかもどうやら、ポシェットには財布や携帯やパスポートなども、すべて入っていたようです」と、驚愕のメッセージ。
「すでにバスドライバーとも無線で確認し、こちらで安全に確保した上で、荷物は京北へと向かっております」
日本のサービスの責任感と、迅速さと、確かさに涙が出る。
「つきましては、お客様ご自身は1時間後のバスで到着します」とのこと。カラダと荷物を別送するとは何事だろう。
果たして、第二便にてやってきた、30代のタイのゲスト夫婦。名前をCとAirといいます。既に、この地に着くことがお互い感極まるドラマで、熱い抱擁とともに二人を迎えます。
旦那のCは安堵した表情で言います。
「いやー、本当に無事に着いてよかったよ。荷物もちゃんとあるようだし。それで、キェ(Kei)、日本のバスってのはだいたい何分くらい遅れるんだい?」
「日本のバスは遅れない。……時刻通りに、発車するんだよ」なぜか、言ってるこちらも熱い思いがこみ上げてきます。
Cの安堵は驚愕に一転、その顎を落としそうです。
「日本のバスは、遅れないのか!」
彼は、その時初めて、発車1分前に(かなり遠くの)トイレまで行ったのは間違いだったということに、気づいたのでした。
「タイでは余裕で2−30分遅れるからさ」と、初めての海外旅行にやってきたCはつぶやきます。
彼らにとって、心底カルチャーショックだったようで、そしてこの体験は僕たちにとっても洗礼でした。
「日本へ、ようこそ」あるいは、「タイへようこそ」だったのかもしれません。
海外のゲストといることで、彼らは時に考えもつかないような行動を取ります。こちらの当たり前が、相手の非常識。何となくそう言ってみればそれっぽく聞こえるのですが、実際に起こると、さながら驚天動地なインパクトがあります。絵に描いたような貴重品をバスに置いて、二人とも車内から去るなんて……!
CとAirは、結局2泊の予定を、「最高だよ、キーホク(京北)は」とさらに2泊追加して滞在することになったのでした。
そして、僕はといえばこの時、「タイのゲストを迎えるのは、タイを旅するよりも面白いかもしれない」とニヤリと、この旅的な非日常感を愉しんでいたのでした。
山や自然をただ訪れるだけではなく、そこを住処とした仕事と暮らしを紹介します。
京都の山奥・京北(けいほく)を拠点とする、編集者・日英同時通訳者。
2014年春より、外国人向けインバウンド事業 “Discover Another Kyoto”を立ち上げる。
サバイバル式に、日英中西仏の5言語を話す言語狂い。現在はロシア語学習中。
https://twitter.com/cosphere