消防士からの大転身。雲取山中腹にある山小屋『三条の湯』名物小屋番の誕生秘話
※こちらは2019年7月22日に公開された記事です
日本百名山の1つ、東京都最高峰の雲取山。その山腹、標高1,103mに、美肌の湯として知られる温泉付きの山小屋「三条の湯」はある。
雲取山や飛竜山登山への拠点となる創業69年のこの山小屋で、現在、小屋番を務めているのが、山岸周平さん(35歳)だ。
ここでの生活は、現代人のそれとは思えないほど、慎ましい。
樹齢数百年の大木をはじめとする原生林に囲まれた、人里離れた森のなか。人知れず薪を割り、山菜をとり、楽器を弾き、訪れる登山客をもてなす日々。携帯もネットもつながらなければ、固定電話もない。下界に降りるのは、月5日間の休みのみ。山岸周平さんが、そんな仙人のような暮らしを選んだのは、約2年前のことだ。
前職・消防士から一大決心をし、小屋番へと転身した山岸さん。一風変わったこれまでの顛末について、話を聞いた。
もくじ
まっすぐに、夢を追いかけ続けて
小学生の頃には、前職の消防士になることを決めたと山岸さんは話す。
「子供の頃から外で体を使って遊ぶのが大好きでした。通学路に消防署があったんですけど、訓練の様子を見て、仕事中に体動かせていいなって思って。現場の人に話を聞いたら、『この仕事はいいよ。走ってると褒められるんだもん』って言われて(笑)。みんなスマートだし、かっこいいし、大人になっても仕事で運動できれば最高だなって思って、将来は消防士になろう、と」
高校卒業後はすぐに消防士になりたかったものの、親の希望もあって大学へ進学。公務員試験に強い法学部を選び、高倍率と言われる東京消防庁への就職を目指した。大学卒業時の採用試験では不合格になってしまうが、神奈川県警に通り、迷った末、就職を決めた。
「機動隊のなかにレスキュー部門があって、これなら人命救助だし、やってみるか、と。でも、研修中に機動隊の人に話を聞いてみたら、『警察のレスキューは、救助ではなくほとんどが遺体捜索、日々の仕事も警備などが基本で、お前が考えているようなものじゃない』と言われてしまって。実習で交番勤務もしたけど合わず、やっぱり消防を受けなおそうと半年で警察を辞めました」
スポーツジムなどでのアルバイトで糊口をしのぎながら、試験勉強を続け、26歳の時に東京消防庁に合格。荻窪消防署のポンプ隊に配属され、待望の消防士になった。
身体を鍛えながら訓練を積み、出動に備える日々。少年の頃に思い描いたライフスタイルが現実となった山岸さんだったが、そのうち、また新しい目標が生まれた。山岳救助隊に入ることだ。
転勤とひとり旅がターニングポイントに
通常、人命救助活動は、消防士のなかでも選抜試験を突破した有資格者だけで編成される「特別救助隊」、通称、レスキュー隊が行う。ただ、東京消防庁でも山間部を有する西多摩区域では、消防隊員の業務内に“山岳救助’が含まれる。つまり例外的に、レスキューの資格を持たなくても、救助隊員になれるのだ。
「とくに人員が少ない奥多摩の消防署は、やりがいがあるという話でした。出張所がなく、本署しかないから、自分たちだけでなんでも完遂する必要がある。その分、プライドもあるし、面白い、と。自然豊かな長野県で育ったせいか、山のあるところで働きたいという思いもあったし、配属希望を出していたら、29歳のときに奥多摩署への転勤が決まって。4年目から、山岳救助隊員としてなんでもやるようになりました。登山技術やロープワークなど、あらゆる知識と技術、経験が求められる仕事でしたね」
奥多摩に転勤したことで、プライベートにも変化があった。趣味で、ひとり旅を始めたのだ。登山、ヒルクライム、クライミング、沢登り、ケイビング(洞窟探検)など、山にまつわるあらゆるアクティビティも嗜み、日本全国をひとりで巡るようになった。
屋久島を旅したとき、初めてゲストハウスに宿泊。国籍も性別も年齢も関係なく、その場に居合わせた者同士が自然にコミュニケーションをとり、旅の想い出を分かち合う。その独特の感覚に魅了され、いつしか、「宿」そのものが旅のテーマの1つになっていったという。
「山小屋、ペンションいろいろ泊まりましたが、とくにゲストハウスが気に入りました。もともと大学時代から付き合っていた妻と、老後はペンションやロッジをやりたいね、と昔から話をしていたこともあり、色んな宿を見て、俺だったらこうしたいな、と妄想することも楽しみになっていって。でも、もし自分で宿をやるなら、60歳からやっても仕方ない、早めのほうがいいだろうと思ってもいた。区切りとして、35歳までに宿の仕事に就けたらそっちに進もう、逆に見つからなかったら消防でいこう、漠然とそう考えるようになりました」
夢は形を変え、今もこれからも輝き続ける
そんな折、自身もよく利用していた「三条の湯」で、小屋番が募集されていることを人づてに聞いた山岸さんは、心動かされる。
「周りにも山小屋とかやりたいと話していたから、『やまぴーやりなよ』って教えてもらったんですけど、いざ現実的になったら、心の準備ができなくて(笑)。
消防をやる以上、ずっと奥多摩にはいられないだろうし、そろそろ転勤辞令が下る時期かもしれない。やりたいけどどうしよう、期限まで1週間しかないという状況で、当時まだ彼女だった妻に相談したんです。最初は驚いていたし、戸惑ってもいたけれど、翌朝、彼女の方から『色々考えたけど、やっぱりやったほうがいい。好きなことをやりなよ』と背中を押してくれて。じゃあ、大変そうだけど頑張ってみよう、と。それが34歳の時でした」
応援してくれた彼女とは、小屋番になる意志を固めてから結婚。一緒に過ごすのは月に1度、5日間の連休のみという新婚生活だが、「いずれは自分たちで宿を営む」という共通の夢が2人を支えているという。「でも、今はとにかく山小屋のことで必死(笑)。居心地のいい空間づくりでお客さんに喜んでもらえたら」と、山岸さんは、朗らかな笑顔で続けた。
「なだらかな林道を歩いて約2時間のところにあるこの小屋に、ヘロヘロの状態で辿り着く人はほとんどいません。山小屋には珍しく温泉もあるし、リフレッシュもできる。だから、お客さんがほんわかしていて、和やかな雰囲気が『三条の湯』の大きな特徴です。」
「自分は、食堂の雰囲気を大事にしていて。本を揃えたり、見やすいアルバムを置いたり、単独者同士でも楽しめるような空気づくりを心がけています。」
「あと、ピークを踏むだけが山登りの楽しみじゃないということを伝えていきたいと思っていて。ここを拠点に、沢を歩いたり、ジビエ猟に同行したり、山菜採りをしたり、温泉に入ってゆっくりするだけでもいい。中腹にある山小屋だからこその楽しみも、提案していけたらいいですね」
オーナーが猟師でもある『三条の湯』では、運が良ければ、鹿や猪などのジビエが食卓に上ることも。さらに今後は、山岸さん自身もわな猟の狩猟免許取得を目指し、ジビエ関連イベントを計画中だという。また、絶景が広がるシークレットスポットへと案内する特別ツアーも、口コミで人気を集めつつある。
季節を変え、目的を変え、何度も訪れたくなる山小屋『三条の湯』。山岸さん本人も、不思議と何度も会いたくなる、そんな魅力的な小屋番だ。
『編集部オススメ三条の湯満喫プラン』
① 三条の湯のテント場で温泉バックパックキャンプ
往路:奥多摩駅=お祭バス停-徒歩:3時間30分-三条の湯(温泉満喫キャンプ)
復路:三条の湯-徒歩2時間45分―お祭バス停=奥多摩駅
一言:三条の湯のテント場を目的地にまったりと自然を楽しむキャンププラン。沢の近くだし、いわゆるキャンプ場ではないので静かに自然の懐に抱かれる時間をゆったり楽しめます。
② 三条の湯から東京都最高峰日本百名山の雲取山へ
1日目:奥多摩駅=お祭バス停-徒歩:3時間30分-三条の湯(温泉満喫キャンプ)
2日目:三条の湯-3時間-雲取山-1時間30分-七ツ石小屋-2時間30分-鴨沢バス停=奥多摩駅
一言:1日目は三条の湯でゆったりと過ごし、人の少ない登山道から雲取山へ登るプラン。人気の百名山を静かに自然と向き合いながら登れることでしょう。三条の湯
三条の湯概要
住所:
〒409-0301 山梨県北都留郡丹波山村奥秋2079
電話:
0428-88-0616
営業時間:
温泉の利用は、12:00頃~20:30 ※日祝日は10:00頃~ ※通年営業
料金:
宿泊料:一泊2食付き8300円(大人)、素泊まり5800円、幕営(テント)1名1000円など
入浴料:大人600円、小学生400円(※宿泊者は無料)
ウェブサイト:
https://www.taba-kan.co.jp/
編集と文章と写真。
宇都宮浩、曽田夕紀子による編集チーム。企画立案から編集、ライティング、撮影までを行う。奥多摩と御茶ノ水に拠点を持ち、TOKYOハイブリッドライフを体感しながら、本づくりを実践。奥多摩ローカル紙『BLUE+GREEN JOURNAL 』は、年2回、春と秋に発行。