山バカ、『エベレスト街道』をゆく #6
皆様こんにちは。
今回で5000mを超え、旅もいよいよ終盤となりました。
エベレストベースキャンプまでもう一息です。
出発
雲一つない晴天に恵まれ、ディンボチェ(4350m)を出発して次はロブチェ(4930m)を目指します。
4000mを超えてからは植物もほとんどなく、本当に砂漠のような風景が広がっています。
空気もかなり乾燥していて風が吹くたびに土埃が舞い上がり、少し喉がイガイガ。
しばらくすると岩場の登りが出てきましたが、北アルプスのような急峻な感じではないので特に危険はありません。
空気が薄いので息を切らせながらもゆっくりゆっくりと登っていきます。
少し登って振り返るとヒマラヤの山々が広がっていて息を飲む美しさです。
遠くの山まで澄んで見えるのは空気が綺麗な事はもちろんですが、低気圧下では空気中に含まれる水分量が低下し光の屈折が少なくなるので、遠くまではっきり見る事ができます。
(日本でも気温が下がれば空気中の飽和水蒸気量が下がるので、冬の方が遠くまで景色が見えるのはその為です)
この岩場を登りきると少し開けた所に出ました。
ここにはチョルテン(仏塔)が沢山並んでおり、これらは全てエベレストの登山で亡くなられた方のお墓だそうです。
偉大な先人たちに挨拶を済ませ、ロブチェまであと少し歩を進めます。
着きました。ここが標高4930mのロブチェです。
写真を見ての通り、ロッジ以外何もありません。
夕焼けが綺麗だったので明日もいい天気に違いない。
時間を持て余していたので星空の撮影もばっちり決まりました。
満月だったので真夜中でも山がとても明るく写ります。
そんな感じでダラダラと写真を撮って就寝。
痛恨の判断ミス
本来ならばロブチェで高所順応のため2泊してから、エベレスト街道最後の町・ゴラクシェプ(5150m)に行く予定だったのですが、あまりにもやる事がなかったのと体調が良かった事もあり予定を変更して1泊で出発する事にしました。
ヌプツェ(7879m)を見上げながら軽快な足取りで進んで行きます。
小高い丘を越え、
見渡すと周りは山、山、山。
エベレストにかなり近づいた実感が湧きます。
この辺りからはずっとガレ場が続きルートも不明瞭です。
ここまでは踏み跡を辿れば進めたのですが、ここからは道を見失わないように地図を確認しながら進む必要があります。
のはずが、写真を撮りながらフラフラ歩いていたので1時間くらい道に迷ってしまいました(笑)
次の村まであと30分くらいだという事と、後続に別のパーティもいる事がわかっていたのでそこまで焦りもしませんでしたが、油断していた事を少し反省。
そんな岩の迷路をあーでもない、こーでもないとかき分けていくと、本日の目的地・ゴラクシェプ(5150m)が見えました。
この街の左奥の小さな山がエベレストのベストビューポイント、カラ・パタール(5545m)
右奥へ進むとエベレストベースキャンプ(5364m)です。
ザックをロッジにデポして今日はカラ・パタール頂上からエベレストを眺める予定、
だったのですが、ここにきて突然体の不調を覚えます。
めまい、吐き気、頭痛・・・
僕が一番恐れていた、高山病です。
高所順応を1日すっ飛ばした影響がここまで顕著に出たのは大きな誤算でした。
幸い、ナムチェで購入していた薬を持っていたので服用し、ロッジで少し早めの夕食兼休憩。
たまたま同じロッジに日本人がいたので一緒に食事をして、記念写真を撮ってもらっていたのですが、帰国してから見返すと唇と爪先に軽くチアノーゼ(血中酸素濃度が低下した際に体の一部が青紫色に変色する症状)が出ていました。
がっつりパスタとピザを2人前食べている写真で説得力がアレですが、思ったより重症だったのかもしれません。
が、しかし!
理由は次回に書きますが、どうしてもこの日カラ・パタールからエベレストを見なければならなかったので、体に鞭を打って登山を決行する事に・・・!
(薬で体調がかなり回復していたので決行しましたが、高山病になったら絶対に高度を上げず安静にするのが鉄則です)
と、少し長くなりそうなので今回はここまでにしておきます。
果たしてカラ・パタールは無事登頂できるのか。
目的のエベレストベースキャンプには辿り着けたのか。
次回、最終回にて詳しく書いていきたいと思います。
登山の魅力をより多くの人に伝えたい!
北アルプスは燕岳・燕山荘の元スタッフ。山岳写真ばかり撮って生きています。一眼レフと三脚を小脇に抱え、今日もどこかの山を奔走中。若年層にも登山をもっと身近に感じてもらいたいと思っています。