忘れがたいあの道を、もう一度|#01 山形県・月山、シャチの背中を歩く道
月山の夏は、とても短い。麓がひどい暑さでも、ここは完全な夏山になることを拒否しているかのように、山稜には雪を残したまま。お盆のころになっても、まだところどころに白く大きな“斑”のように雪が点在していることも多く、緑の山肌で存在感を示している。そしてとても涼しい。
この景色を見ると、「ああ、なんかシャチの模様みたいだなー」などと、いつも思うのだ。月山は巨大な牛が臥せっているように見えることから“臥牛山”とも呼ばれているけれど、個人的には“シャチの背中”の方が気分。でーんと横たわる巨大な生物の背に、陽射しや風が交互にあたると、まごまごと巨躯を動かしているように見えてきて、優しい気持ちになってくる。
月山は出羽三山の一座で、羽黒修験の霊山として知られている。山頂はなんとも厳かな空気が漂う月山神社となっていて、お祓いを受けてからでないと頂の神域に足を踏み入れることはできない。
ぼくの生まれ育った仙台の実家は、伊達政宗によって青葉城の“鬼門封じ”となった北山という丘陵地で、その一端を羽黒神社と月山神社・湯殿山神社が護っている。だからなのか、北山とか羽黒とか月とかいう言葉にものすごく敏感なところがある。よその地域で見かけると、勝手に親近感がわきあがり、すぐにその地名の由来や歴史のことを調べるクセがついてしまった。まぁ、そんな話はまたの機会にしようと思う。
で、そんな月山を、毎年お盆のころに登っている。山頂まで、亡くなったご先祖さまや友人をお迎えに行くのだ。山形にはこうした死者と向き合う風習がいまなお各地に残っている。ぼくにとっても年に一度の“しきたり”のようなものになっていて、道中で賑やかに出迎えてくれるニッコウキスゲや池塘の明るい振る舞いのおかげで、亡き人に会いに行く気分は明るい。
湯殿山神社からの道と姥ヶ岳からの道との合流地点を金姥という。ここから牛首に向かう道が、この上なくよい道だ。緑の稜線についたひと筋の白い道を山伏が歩いている様子を、夏がはじまると条件反射のように思い出す。
いつからか、この道を眺めたい、歩きたいと思い、そっちの方が楽しみになってしまった。山頂で待つご先祖さまにはいささか申し訳ないが、それだけこの道の情景は生きているぼくらを虜にするのだ。毎年歩いているけれど、思い出すだけでワクワクしてしまう道。もちろん今年も、この道を歩くつもり。これを書きながら、もうワクワクしてる。
車の場合、月山ICまたは西川ICより姥沢駐車場
公共交通の場合、西川町営バスで姥沢
低山トラベラーです。山旅は知的な大冒険!
物語の残る低山里山、ただならぬ気配を感じる山岳霊峰を歩き、日本のローカルの面白さを探究。文筆と写真と小話でその魅力を伝えている。NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー、著書に『低山トラベル』『とっておき!低山トラベル』(二見書房)がある。自由大学「東京・日帰り登山ライフ」教授、.HYAKKEIオフィシャルパートナー。