グリズリー、ムース、カリブー、オーロラ、ブルーベリー、北米最高峰デナリ。アラスカも世界と同じように資本主義の風にさらされているが、何千年と変わらない美しい自然が残されている。松本紀夫、星野道夫にインスパイアされた私のように、ぜひアラスカの大地を踏みしてもらいたい。そんな思いが詰まったアラスカ旅の後半です。
前編はコチラ!
2日目のワンダーレイクキャンプ場へ行くバスの中でも多くの動物たちと出会った。グリズリー、ムース、シープ、カリブー。残念ながらオオカミには出会えなかった。
興奮したが、物足りない。バスという人間社会から見るのではなく、動物たちと同じ世界から動物たちと出会いたい。視覚メインではなく、すべて五感を使って。人間の社会と自然がはっきり分かれていることが悲しい。
彼らとの直接な出会いを期待して、バックカントリー2日目が始まる。
のんびり起きて、太陽が出ているうちに体を拭き、洗濯をする。地図を見て、南にある小さな森を目指すことにした。2時間ほど歩き、森の中へ。この森が本当に素敵だった。倒木から次世代の木がしっかり育ち、森が「更新」していることが分かる。奥多摩のトレイルを歩いた時の植林されたスギ林とは全く性質の異なるものだ。
デナリ国立公園には捕食ピラミッドの頂点、狼が生きている。一方日本では、100年前に絶滅したと言われている。捕食者のいなくなった日本では、ハンターの減少、森林破壊、植林を経て1990年代からシカが増え社会問題になっている。シカが森を食べ、生態系が崩れている。その範囲は土砂崩れにまで及ぶという。獣害扱いの日本のシカ、ここデナリ国立公園のシカの仲間、ムース、カリブーはしっかりと保護されている。
日本のシカが増え続けている根本原因はヒトによることを忘れてはいけない。
イエローストーン国立公園でも、オオカミが絶滅したが、再導入によって生態系が戻ってきたとも聞く。日本もなにかできないだろうかと考えてしまう。
そんな素人考えをグルグルと考えていると、巨木の枝に動いている物を発見した。
なんだリスかと思いながらも、シャッターを何度も押す。バックカントリー最初の動物。「ギュー」と低い声を出すと、遠くから同じ声がした。仲間に危険を知らせる合図だったのかもしれない。
翌日は川沿いに戻り、上流へと向かうことにする。辺り一面ブルーベリーが広がり、1歩ごとにベリーをつまみながら歩く。1cm〜1.5cmほどのブルーベリーは病みつき。
ブッシュをかき分けながら3時間進んだとき、物音が聞こえた。「グリズリーではありませんように、でもグリズリーに会いたい」と矛盾を抱えながら、ゆっくりと音のした方へと歩を進める。レンジャーからもらった「絶対にグリズリーとは戦わないでください」というアドバイスを思い出した。
メスのムースの群れだ。7頭ほどはいる。バスの中からとは違い、彼らの息づかいが聞こえてくる。ムースも私に気づき、警戒はしているのだが、食事を続けていた。
テリトリー。
少し近づくとその分離れていく。これが彼らの距離感だと理解し、写真を撮り、観察した。日本名だとヘラジカと呼ばれ、シカ科の中でも最大級だ。
最終日、眠い中カリブーの群れにも出会えた。カリブーはムースよりも私を警戒していたのか、距離は遠かった。
なぜこのカリブーの角は赤いのだろう。帰国後、友人が角の生え代わりに向けて、皮が剥けていると教えてくれた。
赤いカリブーに出会った前日、今まで見なかった秋のうろこ雲が見つけた。夏の終わり、旅の終わりで少し寂しい気持ちで寝袋へともぐった。たっぷりと2時間ほどかけてゆっくりと日が沈んでいく。
深夜、水鳥たちの音でふと目が覚めた。時計を確認すると2時22分。安全確認のため、タープテントの入り口を開け、辺りは確認した。見上げると、オーロラが舞っていた。
バックカントリーを終え、バックカントリーインフォメーションセンターに立ち寄った。
アメリカはレンジャーという仕事が確立されているが、日本では環境省の自然保護管がそれにあたるが、まだまだ狭き門である。
アメリカの国立公園は規模が大きく、人の手が入っていない原生林といった概念があり、世界で最初に作られたのもここアメリカ。一方日本は秩父多摩、箱根をはじめてとして生活の中に国立公園がある。違いに興味があってデナリ国立公園で働くレンジャーに話を聞いてみた。レンジャーのjohnは私より少し年下だろうか。
私「どれくらい仕事しているの?」
john「6年だよ、夏はここで働いて、冬はスキー場でパトロールをしているよ。でも今年の冬はここで働く予定だよ」
私「そうなんだ。昔は何をしていたの?」
john「大学を卒業して、数年エンジニアとして働いた」
私「レンジャーって楽しそうだね」
john「ありがとう」
正確にはjohnは「6年」と答えていない。
「Six Summer」と。
季節労働に対する日本人が抱くイメージは良くないが、自然の中での暮らしを模索する私には心動かされる響きだ。
その響きの余韻に浸り、何度も帰り道に反芻した。
今回の旅の象徴はグリズリーでもオーロラでもバックカントリーでもなく、
星野道夫の生き方に通じるSix Summerという言葉だった。