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生きるヒントが詰まってる。人と自然を結ぶ「山伏」の店 「十三時」

「山伏は荒々しいのではないか」という筆者の勝手な先入観とは程遠く、とても穏やかに話をされる坂本大三郎さん。奥深い山の中で行われる過酷な「修験道」を経験した大三郎さんから紡ぎ出される言葉は、生きる上での本質が詰まっていて、自然と体に吸収されていくようです。

ここでは、山伏になったきっかけや山伏について、そして大三郎さん自らが営んでいる「十三時」の存在についてお話をお伺いしました。

「もの作り」や「絵を描くこと」が好きで山伏に

ーーそもそも、なぜ山伏になられたのか教えて頂けますか?

山伏の世界に足を踏み入れたのは偶然ですね。僕の友達が通っていた大学のゼミの人が、夏になると羽黒山で山伏修行をしていたんです。それで僕も「面白そうだな」と思い、好奇心で行ってみたのが、山伏との最初の繋がりですね。

それまでは山伏について全然知らなくて。滝に打たれたり、山で厳しい修業をしたりというくらいのイメージだったんです。

実際に山で修行をしてみたら結構大変でしたが、とても面白い世界で。大変という以上に興味深い世界だと思って。「なぜ修行をするのか」「修行内容の意味」などをよくわかっていなかったので、修行を体験した後、もっと色々知りたいと思うようになりました。

修行後、当時住んでいた東京に戻って、色々な大学の教授を訪ねたり、山伏に関する本を読んだりして、知識を深めました。

その中で、

・山伏は日本の文化の中で、「もの作り」「芸術」「芸能」に携わっていた人達だということ

・とても古い時代に山伏の文化のルーツがあり、縄文時代などのアニミズム(自然崇拝信仰)のような文化から生まれた

ということがわかったんです。

僕は子どもの頃から「もの作り」や「絵を描くこと」が好きでした。そんな自分と山伏が重なるような気もしましたし、そもそも山伏はどこから生まれたのか、そのルーツが気になって知りたいとも思い始めたら興味が湧いてきて、山形に通うようになりました。

歴史の「伝承者」である山伏に興味を持つ

ーーそして山伏になろうと決意されたと。

「山伏になろう」と思って決意したわけではなく、ただ山伏について知りたかったんです。僕も昔の人と同じ気持ちや方法で、「もの作り」に携わりたいと思って。

ーー山伏というと厳しい「修験道」を経験した地位の高い方というイメージがあるのですが。

そんなことは無くて、むしろ僧侶の階級の世界とは真逆の場所にいます。
例えば仏教や神社の世界と山伏は無関係ではないですが、そこに属する人たちは権力者である大名とか宮廷の文化と繋がりがあり、そこから色々な階級をもらってお寺や神社を管理しているんですね。

でも山伏はそういう世界とは別の世界で生きていた人達で、俗世間や俗権力とは全く違う世界に存在していました。

昔、各所に「関所」という検問のような場所がありましたよね。あれは各地域の権力者が、支配下にいる人々を逃げさせないように建てられたものですが、山伏はフリーパスで通ることができたのです。それはなぜかというと、権力とは関係のない世界に生きている人達であるのと、自然とダイレクトに繋がっている人達だったからなんです。

ーー「権力とは関係ない」ということは自由な身分だったのですか?

自由である一方、俗世間とは違うルールが山伏にはあるんです。わかりやすく言うと、山伏のかつての姿を伝えているのは現在のいわゆる「ヤクザ」です。山伏は様々なところにいて、大名が山伏だったりしました。

山伏は「聖(ひじり)」<※古くは日を知る「日知り」と言われていた>とも呼ばれていたのですが、例えば徳川家康の祖先は徳阿弥(とくあみ)といわれる念仏聖(念仏の功徳を説き、広めた者)でしたし、豊臣秀吉も山伏と関係がありますし、他にも山ほどそういう人がいて。

けれども、戦国時代を過ぎて江戸時代になると戦いはなくなり、戦っていた人達は行き場所がなくなってしまいます。

そうすると江戸時代、町にたむろしていた人たちは「かぶき者」といわれるようになり、ある者は芸能を行い、ある者は占いをしていて、それが博打(ばくち)に転嫁され、「博徒(ばくと)」が生まれ、現在の「ヤクザ」のルーツになっています。

そういう「かぶき者」の文化の中から江戸時代の元禄文化が生まれていますし、歌舞伎・能・神楽・田楽などの芸能を伝えて発展させたのも山伏だったのです。

いわば文化の伝承に関わった山伏に、僕自身「もの作り」をする人間として、すごく興味を持ちました。

ーー山伏は各地に数多いたということですが、現在山伏をしている人はどれくらいいるんでしょうか?

時々山伏みたいな人を含めれば、かなりの人数になると思います。1回だけ修行をしたいという方も結構多いですし、山伏と認められることも山や地域によってルールが違います。

例えば、東北だと出羽三山があり山伏の拠点なのですが、西の方ですと大峯山・紀伊半島などにおいて盛んで、山伏になるには得度しなければいけないようです。出羽三山はもっとアバウトで秋の峰入り修行という8月に行われる修行があって、それに参加することで山における名前がもらえます。

ただ、1回参加したから山伏として認められるのかといったらそれはまたちょっと別ですかね・・・。

山に残る技術や知恵を伝えたい

ーーお店を始められたきっかけは?

山伏は関所を自由に通ることができたので、物の流通や情報の伝達に関わりを持っていたんです。つまり人と自然を繋げる役割を担っていて、山で採れた薬草を里の人に与えたり、山で得た知識を伝えたりしていました。

僕自身はもともと千葉で生まれ、東京で暮らし、山伏に興味を持って山形に通っていたんですが、山に残る知恵・技術をもっと知りたいと思って、山形に移住しました。そして山で学んだことや出会ったものを、皆さんに紹介できる場所があればいいなと思っていた時に、この「とんがりビル」をリノベーションするから何かやらない?と言われたことがきっかけです。もの作りのワークショップも開催していますよ。

ーーどのようなワークショップですか?

かんじきを作ったり、稲わらで鶴亀の人形を編んだり、昔は山形地方で使われていた卵を包む「卵苞(たまごつと)」をわらで作ったり、ほら貝型の虫かごを作ったりしています。

山形県には色々な技術を持った方がいらっしゃいますし、山間部には伝統技術が多く残っているので、そういう方に来てもらい講師をお願いしています。

例えばかんじき作りは、湯殿山(ゆどのさん)のふもとに田麦俣(たむぎまた)という地域があって、そこのおじいさんが作ってくれるんです。卵苞や虫かごを作っているのは真室川町(まむろがわまち)という山形県の北の方の町の、農村の文化から生まれたものです。

ーー今なお残る技術や知恵を身近に感じてもらおうと。

そうですね。自分の身の回りにあるものを、如何に利用するかということは大事だと思いますし、伝統の技術や知恵が忘れ去られてしまわないようにという気持ちが強いですね。

また、僕自身「もの作り」が好きですし。

いたちの毛皮も置いていて、この毛皮で襟巻作ることもあります。自分でも解体しますし、猟師さんに解体してもらうこともあります。

ーーお店に置いてある商品も自然と人の繋がりを考えてですか?

はい。お店は自然と人とを繋げる場所、本来の生活を伝える場所と思っていますので。例えば「いなごふりかけ」は虫から作られていますし、山ぶどうジュースは月山のやまぶどうから作られていますし。

ーーちなみに初めて「いなごふりかけ」を見たのですが、どんな味なんですか?

意外と普通のふりかけですよ。「おかか」みたいな感じで、「いなご」っぽくはないかな(笑)

この草履は「軽部草履」といって、山形県寒河江市の工場で作られているんです。この工場は世界で唯一、自然の素材で草履を編める草履屋さんです。

山形県でもあまり知っている方はいないのですが、実は大相撲の行事さんが履いている草履は全部ここで作っていますし、大河ドラマや時代劇の草履は全部ここで作っています。まさに自然を使った技術を今に受け継いでいる工場です。山伏の「自然と人を繋ぐ」というスタンスに重なるところがありますね。

難しく考えず、当たり前のこととして

ーー山伏をすることと、お店を営むことのバランスはどのようにとられているのですか?

山伏とお店を両立させるというあまり難しい気持ちではなくて、山伏が全て当たり前としていることを、普通に行っている感じです。

僕が山伏だからこそ店主を務めているというわけではないですし、究極別に自身が山伏でなくても構わないと思っています。山伏はかつての人たちの生活を象徴するものとして捉えていますので。昔は誰でも草履を編めたはずですし、食べ物も採れた。山間部の人は獣の皮も剥げたでしょうし。

本来の生活はこういうものだったということ、身の回りにあるもので生活できるということをみなさんに伝えられればいいですね。

ーーちなみに十三時というお店の名前の意味は?

僕の好きなイギリスの児童文学に「トムは真夜中の庭で」という本がありまして。

主人公のトムがあるお屋敷に泊まりに行った時、11時になったら11回時計の鐘が鳴り、12時は12回、夜中1時は1回のはずなのに、なぜか13回鳴った。これを境に不思議な時間の世界に入っていくという話なんです。

「十三時」をきっかけに幻想の世界に入っていくことと、「山伏」をきっかけに違う世界に入っていくという意味を込めて「十三時」にしました。


とても穏やかで自然体な大三郎さん。その優しいお人柄と、人と自然を結ぶ品々には”十三時”のWebページでも触れることができます。

自分にとって遠い存在だった山伏。大三郎さんはその存在を生活に溶け込む形で、身近な存在であることを教えてくれました。

現代の「山伏」の生活には「生きるヒント」が沢山詰まっています。

店舗情報

<十三時>

*所在地
〒990−0042 山形市七日町2−7−23 とんがりビル1F

*営業時間
開店:12時〜19時 ※日によって変更あり
定休:不定

*連絡先
TEL:090-2952-0013
MAIL:info@13ji.jp

*公式サイト
http://www.13ji.jp/

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ライター:
松原 充生子