ここに行けば心が落ち着く。みなさんにはそんな場所がありますか?
大人になるほど、一人では抱えきれない大変な経験をすることもあります。
身近な人だからこそ、相談できないこともあるでしょう。
そんなピンチに心落ち着く場所があれば、きっと、どんな大変な時でも乗り越えられるはず。
「遠い飲み屋」として知る人ぞ知る山小屋「八ヶ岳青年小屋」。どうやらここはまた来たくなる心落ち着く場所のようですよ。
八ヶ岳の南端、編笠山。南八ヶ岳の名峰、権現岳。その間、標高2400mに青年小屋はあります。
元々は小さな避難小屋だった青年小屋。昭和34年、日本各地に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風で周辺の樹林帯がほとんど倒壊してしまいます。
現在の小屋が建てられたのは昭和36年。伊勢湾台風で倒れた周辺の木を材料として使い建て直されたもの。入り口にかけられた提灯には「遠い飲み屋」の文字。この提灯のおかげで一度は行ってみたい憧れの山小屋としての存在感を確立しています。
小屋のご主人、竹内敬一さんは、御年64才。25才の時に東京から飛び出て青年小屋でアルバイトとして働きはじめました。
都心で働いていた頃は、人の多さ、その密度とその中での孤独をひしひしと感じていた竹内さん。人が嫌いで都会を出たつもりが、いざ山小屋に入るとお互いに支え合い、人と人との距離がとても近くてあったかい、その雰囲気をとても居心地よく感じました。山小屋に来てかえって自分が人を好きなことに気づいてしまったそうです。
先代のご主人は、そんな竹内さんに惚れ込みます。
「あんたみたいな山好きが山小屋の跡継ぎには一番いい。」
その一言を聞いた竹内さん
「これでずっと山に住める!」と二つ返事で青年小屋と権現小屋の経営を引き継ぎました。
その後も竹内さんは小屋の経営だけではなく、国際山岳ガイド、八ヶ岳山岳ガイド協会会長、(公社)日本山岳ガイド協会の理事(現在は監事)、山梨県北杜警察署山岳救助隊長と、様々な肩書で山の安全を守るために活動し続けました。
編集部がこの小屋の取材に訪れたのは夏の盛りが終わろうとしている土曜日のこと。前の取材の関係で到着したのはもう日も暮れた頃でした。(※到着が遅くなる時は小屋にきちんと連絡してくださいね。)さっそく、素材にこだわった晩ごはんをいただき、それが片付けられると、竹内さんがテーブルに日本酒とグラスを並べはじめました。
日本酒に導かれるようにお客さんが集まってきます。その中には千葉から来た常連さんが担ぎ上げてきたものもありました。
小屋には、竹内さん厳選の日本酒も並んでいます。どれも簡単に手に入るものではありません。杯が進むほど、お客さん同士の会話もなめらかに。編集部も交ぜてもらうと、なぜか竹内さんの人柄の良さをお客さんがアピールしはじめました。
――「この小屋には頻繁に来られるんですか?」
Aさん「昔はしょっちゅう来ていましたが、今回は20年数ぶりに来ました。まだ10代の頃、竹内さんには世話になりました。自分は家庭環境が良くなくて自暴自棄になっていたんですが、当時は死に場所を探すように山に登っていました。」
Aさん「その頃、権現岳に登って夜遅くなり、もう、真っ暗。お金もなくて困っていたら、竹内さんが権現小屋の窓から顔をだして、『金なんかいいから、泊まっていけよ』って言ってくれたんです。そこで竹内さんと話していたら、こんな自分でも受け入れてくれる場所があるんだって、すっかり気に入って通うようになりました。」
Aさん「それからは、小屋に居候して手伝わせてもらって登山の基本まで教えてもらいました。結婚して子どもたちが小さい間はしばらく足も遠のいていましたが、もう大きくなったので今日は久しぶりに来れました。この小屋も景色も僕がいた頃と何も変わりません。つらいことがあるとつい足を伸ばしてしまう場所なんです。ここに来るとあの大変な10代を乗り越えられたんだから、今度も大丈夫って心が落ち着きます。」
Aさんから話を聞いた後も、他の常連さんが竹内さんから聞いた話を”僕は竹内さんのことをこんなに知っているんだ”と自慢するように喋りだし、詳細を竹内さんが落語のように臨場感をもって語る。そんな流れで竹内さんのエピソードがたくさん飛び出しました。エベレストでブータン人を助けた話。竹内さんが犬と氷瀑を一緒に登った話。救助隊として出動した時の経験。ネパール遠征で感じた日本の自然の素晴らしさ。
話は尽きることなく、青年小屋の夜は更けていきました。
翌朝、山へ向かうお客様も出かけ、小屋に静寂が訪れる頃、竹内さんにお話をうかがいました。
――青年小屋が「遠い飲み屋」になったきっかけはなんでしょう?
「僕自身が山岳ガイドとして山を楽しむ登山者です。星を見たり、仲間とお酒を飲んだり、山の夜を楽しみたい。でも、他の山小屋は20時や21時には消灯してしまう。僕はもっと遅くまで飲んでたいのに。
僕みたいなお客さんもいるんじゃないかなと思って、青年小屋では遅くまで飲めるようにしました。
そしたら、学校の先生が植物の研究によくここに来るようになってね。いつものように一緒に飲んでたら、『それにしても竹内さん、ここは遠い飲み屋だねぇ』ってボヤくもんだから『それいいね!』なんて言って笑っていたんです。」
「しばらくしたら、昔この小屋で居候して働いていた子が軒先のあの提灯持ってきたもんだから。気づいたらほんとに遠い飲み屋になってました。(笑)」
ボトルキープをできるようにしたり、開業期間中、3度のお祭りを開催したり、青年小屋は常連さんの人情と人のつながりでどんどん「遠い飲み屋」らしくなっていきます。
5月には採れたての山菜の天ぷらを揚げながら飲む「山菜祭」。
8月最終土曜日にはクラシックを聞きながら飲む「夏の終わりのコンサート」。
10月最終土曜日には権現岳の守護神イザナミの大神と八雷神に感謝し、お餅つきをしたり、ほうとうを食べたり、とっておきの冷酒を飲む「八雷神祭」。
どのお祭りもお酒とセットです。
「夏の終わりのコンサート」は2000年から始まり、今年19回目。はじめは山好きのアマチュア音楽家の方の演奏会だったそうですが、いつのまにかプロの方も自ら楽器を担ぎ上げて演奏会をするようになりました。演奏する方々ご自身がこのコンサートをとても楽しみにしているそうです。
――小屋をずっとやってらして、辛かったことはありますか?
「いや、ないですね。まったくない。山にのめり込んだきっかけが、金峰山の五丈岩から眺めた甲斐駒ケ岳と八ヶ岳の南麓の景色だった。それが今はそのエリアの救助隊長をやって青年小屋の主人でしょ。きっと、山に呼ばれたんだろうね。」
――では幸せを感じるのはどんなとき?
「長くやっているから、一緒に小屋に来て飲んでくれる人がたくさんいる。ありがたいことに同じお客さんが年に3回も4回も上がって来てくれたりね。小屋番だった子が、何年もして自分の子供連れて来てくれたり、提灯作ってくれたりしてね。しあわせだよね。」
――これからやりたいことありますか?
「やっぱり、体が動く限り続けたい。トイレは新しく作ったばかりだから、この小屋もそろそろ建て替えたい。ほんとはずっとこの小屋にいたいんだけどね。予約を確認して、食事を仕入れて、ボッカの準備してって、結構、下界でやらなきゃいけないことがある。ほんとは上にいたいんだけどねぇ」
※ボッカ…山道を重い荷物を背負って登ること
インタビューの最後にぽろっともらした竹内さんの本音。
「小屋にいつもいたいけど、しょうがないから週末だけ通っている。」
実はこの小屋の一番の常連さんは、竹内さんかもしれません。竹内さんがこの小屋のことを最も愛していて、そんな竹内さんをみんなが慕い集まり「遠い飲み屋」の宴が続いていく。
「遠い飲み屋」青年小屋は、八ヶ岳の南端にあります。
登山口の観音平からは歩いて3時間。
南アルプス、北アルプス、奥秩父の山並み、そして甲府盆地のヒトの営みが一望できる編笠山の山頂までは30分。
八ヶ岳最高峰の赤岳が最も勇壮に見られる権現岳山頂まで1時間半。
南ヤツの山々を楽しむときは、ぜひ立ち寄ってくださいね。
あなたの「また来たくなる心落ち着く場所」になるかもしれません。
<公式twitter>
https://twitter.com/tooinomi_ya_tsu
<住所>
山梨県北杜市小淵沢町8881
<TEL>
TEL:0551-36-2251
携帯:090-2657-9720
FAX:0551-36-2251
<宿泊概要>
参考価格:
【1泊2食付】¥8,500~
【素泊まり】¥5,500~
*カード利用 不可
定員・収容人数:150人テント設営数:20営業期間 4月下旬~11月上旬
(写真:藤原慶)