雨の日にだけ現れる道がある。
「RAMBLA」は、ふだんは乾いていて、雨が降ったときにだけ水が流れる通り道を指す言葉だという。
山で言えば、涸れ沢のような道だ。いつもはただの溝で、条件がそろった日だけ水の通り道になる。
その名前を持つルート(岩壁を登る決まった道筋)に、何年も戻り続けたクライマーがいる。12月に公開される長編ドキュメンタリー映画『ENROUTE/エンルート』は、その人を追いかけている。
平山ユージさん。1998年にアジア人として初めてクライミングのワールドカップで年間総合優勝を果たし、2000年にも2度目の年間総合優勝。2004年にはスペインで、とびきり難しいルートを、下見も練習もなしに一回目で登りきるという世界初の記録もつくった。
そんな人にも、長いあいだ登れないまま残っていた一本がある。スペイン・カタルーニャ、シウラナの「La Rambla(ラ・ランブラ)」。高さ約41mの岩壁を登るルートで、世界でも登りきれる人がごく限られる難しさだ。その一本は、抜けない棘のように平山さんの心に残り続けた。
プロデューサーの汐巻裕子さんによると、初めてジムを訪ねたとき、平山さんは「やり残していることがある。あのルートを超えてみたい」と話したという。
「登りたい」ではなく「やり残している」。その言い方が、少し引っかかった。
汐巻さんは、山岳ドキュメンタリー『MERU/メルー』を日本に届けた人だ。当時は登山もクライミングもほとんど知らなかったという。最初から10年も撮るつもりではなかった。撮れば撮るほど「まだこの人がよくわからない」と思ったそうだ。
この旅に同行するのは、20歳年下のクライマー、安間佐千さんだ。2012年と2013年にワールドカップで年間総合優勝。2012年にはラ・ランブラを登りきっている。世界で8人目だった。平山さんがまだ登れずにいた一本を、先に登った人だ。幼いころから平山さんの背中を追ってきた安間さんが、映画では、ロープを持って下から平山さんを支える役を務める。
2016年、二人はノルウェーのフラットアンガーへ向かう。海を見下ろす巨大な洞窟で、難ルート「Odin’s Eye」を二人とも登りきり、安間さんはさらに難しい約65mの「Thor’s Hammer」も登った。このとき下でロープを持って支えたのは平山さんだった。
2016年の秋、平山さんは人生で初めて大きな怪我をし、クライミングを始めてから初めて岩を離れる。2017年、2018年とシウラナに通い、2020年には安間さんが支え役として戻ってきた。けれど新型コロナウイルスの流行で旅は打ち切られ、ラ・ランブラへの挑戦はまたお預けになった。
汐巻さんは、この10年の平山さんを隠さずに語る。腹が立ち、投げやりになり、「お酒が一番の友だちになったり」。常に光の中にいた人の「もっとも輝いていなかった時代」かもしれない、と。
一方で映画には、静岡県・城ヶ崎の難ルート「炎のメリーゴーランド」を、下見も練習もなしに一回目で登りきる姿も映し出されるという。何年通っても届かない一本と、初めて触れて一度で登る一本。同じ人の中に、その両方がある。
ラ・ランブラとの長い旅の行方は、スクリーンで見届けたい。
平山さんの挑戦は、その後も続いた。2025年、56歳で安間さんとアメリカ・ヨセミテの大岩壁エルキャピタンへ。こうした大きな岩壁は、いくつもの区間に分けて登る。2003年、平山さんは「Lurking Fear(ラーキング・フィアー)」というルートで、7番目の区間だけを登りきれなかった。22年たって、その7番目の区間を登りきった。2026年9月には石川県白山市の百四丈滝で、落差約90mの滝の横の岩壁を完登した。
この映画のテーマは「人生に頂点は、ない。」だ。
山を歩く人にとって、頂点はゴールそのものだ。だから最初は、この一行に少し違和感があった。
けれどクライミングのルートには、頂点のかわりに「終了点」がある。ラ・ランブラの終了点は、一度上へ動いている。1994年に初めて登られたときは、今より低い位置が終わりだった。そのあとルートが上へ延ばされ、今の終了点まで登られたのは2003年。かつてのゴールは、いまはルートの途中にある。
汐巻さんによれば、タイトルの『ENROUTE/エンルート』は「途中にいる」という意味だそうだ。たどり着いた場所も、次の挑戦から見ればまだ途中になる。頂点はないというのは、終わりがないということではなく、ゴールがいつも先へ動いていくということなのだと思う。
映画には、若いころの平山さんとアメリカを旅した登山家の山野井泰史さんや、フラットアンガーで平山さんと登り方を語り合うアダム・オンドラさんも登場する。クリス・シャーマさん、アレックス・オノルドさん、ジミー・チンさんら、世界のトップクライマーの名前も並ぶ。
公開は12月11日。涸れ沢に水が来る日を映画館で確かめてみたい。
『ENROUTE/エンルート』
伝説的クライマー・平山ユージを追った初の長編ドキュメンタリー映画。
世界の頂点に何度も立った平山ユージが、30年以上心に抱え続けた未完のルート「ラ・ランブラ」と向き合う物語。スポーツドキュメンタリーの枠を超え、「人生に頂点は、ない。」というテーマを描いたノンフィクション。
公開: 2026年12月11日(金)より TOHOシネマズ日比谷、大阪ステーションシネマほか全国ロードショー
出演: 平山ユージ、安間佐千、山野井泰史、アダム・オンドラ、クリス・シャーマ、ジミー・チン、アレックス・オノルド、ハンス・フローリン ほか
監督: ミカ・トテチンスキー
撮影監督: ブレット・ローウェル
プロデューサー: 汐巻裕子
音楽: ドノヴァン・フランケンレイター/今井亮太郎
製作・配給: 株式会社ピクチャーズデプト
公式サイト: https://enroute-movie.com
予告編: https://youtu.be/AQE-y-izLB8
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