雨の日、喜んで行きたい山がある。
北八ヶ岳の白駒池もそのひとつと言って間違いないだろう。
近年、梅雨の時期に多く人が訪れる、日本屈指の苔の聖地だ。
GORE-TEX Productsとの連載企画、第3弾は「苔を知り、雨の山を楽しむ」ディープな世界へ。
案内してくれたのは、北八ヶ岳苔の会・会長の山浦清さん。白駒池にある青苔荘の2代目主人だ。白駒池を案内していただきながら、山に慣れた人こそ楽しんでほしい苔の魅力をうかがってきた。
山浦さんが会長を務める北八ヶ岳苔の会は、白駒池を中心として分布する青苔荘・白駒荘・麦草ヒュッテ・南佐久北部森林組合らが2010年6月に発足。苔の観察会やオリジナルグッズの展開、木道の整備などを行いながら苔の魅力を発信している。
取材日当日、山浦さんとは白駒池有料駐車場で待ち合わせ。
梅雨のあいまの晴れ模様だったが、国道を渡って一歩苔の森に入った途端、ひんやりとした空気に包み込まれた。
そして山浦さんはすぐさま、ここが苔の聖地である理由を教えてくれた。
「土の上に苔があるでしょう?この風景が、じつはとても珍しいんです。」
「ここは針葉樹の森。落葉しても細い葉だから、年間通じて土の上にしっかり日光が当たるということです。
さらに、ここは岩石がたくさんあるから他の植物も育たない。苔は背丈が非常に小さいですから、他の植物が周りにあると日光を遮られてしまうんです。
そういった、苔の光合成を妨げるものがないから、ここは苔にとっては楽園なんですよ。ブナの森みたいに広葉樹が多かったり、笹がたくさんあるような山ではまずこうはならない。」
「岩石の群衆地ということは、起伏が激しい。起伏があると水も溜まりやすく常に湿気がある状態ですから、それも苔が育つには好条件なんですね。その環境がもっとも顕著なのが、もののけの森です。」
日本には1,800〜2,000種の苔が存在し、八ヶ岳には519種の生息が確認できているという。八ヶ岳は中緯度に位置し、低地の山地帯には南方系の冷温帯のものが、高地の高山帯には北方系の寒帯のものが分布することで、ここで見られる種類が多様になっている。ちなみに世界で見ると、日本の約10倍もの種類がある(つまり、20,000種!)。
苔というとどんなイメージを持たれるだろう。
だいたいが、1本だけ生えているというよりも、所狭しと群れを成している姿を想像するはず。なぜそのような生え方をするのか。
「まずひとつは根っこがないから。支えるものがないので強い風が吹くと負けちゃうんですね。だから群を成してみんなで支え合っている。
もうひとつは水分。根っこがないので苔は保水力がありません。群れることで水分を逃しにくくし、湿気を維持することができる。
さらには、群を成すことで埃などをため込んで、自分たち好みの土壌を作っているんです。苔は自分たちの枯れた葉っぱを落として土壌の養分にもしています。よく苔って大きくならないんですか?と聞かれるんですが、本当は苔も成長しているんだけどそうやって土壌のカサが上がるから、成長しているように見えないんですね。」
苔むした森を見るとより深く中に入っていきたくなるものだが、実は意外なことに、苔がもっとも群生しているのは目の前にある登山道脇なのだという。その理由も明確で、登山道脇であれば人が通るので、倒木や落ち葉などをきれいに整備しているから苔が繁殖しやすい。森の中に入れば入るほど、光を遮るものが増え苔の種類は限定的になる。
「苔の種類を把握するには、どこに生えているかを見ればわかります。樹幹なのか、根っこなのか、腐葉土なのか。苔は小さくて環境の影響がわかりやすいため、例えば岩や樹の根元に群生するイワダレゴケ(英名:ステップモス)という種は、一年に一段ずつ葉が生えることから、環境汚染の調査に役立っているんですよ。」
樹に苔が生えているのは、樹にとってもありがたいことなのだそう。
苔は根っこを持っていないため、木から養分をもらうこともない。鹿の食害のように木の皮が食われてしまうのが深刻な問題になっているが、苔がいることでそれを防いでくれている。まさに互いに関係しあってそれぞれの生態が成り立っている。
ひとつの樹にはなんと30〜50種類もの苔が生えている。ひとつの樹にさえそれだけたくさんの苔の種類があるのだから、苔の観察は「歩かない」「動かない」のが基本だ。今回の取材でもガイドをしていただきながら歩いたが、「だいぶ端折った」と言われたものの1時間以上かけて歩いた距離はわずか200メートルほどだった。
北八ヶ岳苔の会は、こういった苔の生態を守るべく作られた。白駒池へは国道からすぐにアクセスできるため、かつては苔をとっていってしまう人が多かったそうだ。
しかし、これまでの話の通り、苔の生育は環境にとても依存するため、この地からとっていってしまっても思うように生育しない。そのような生態の知識を持ってもらうことで、誰も幸せにならない盗難を防ごうという想いがあるのだ。木道も、青苔荘の主人になってからはじめは山浦さんが個人で材料を購入し、整備していたそう。最近ようやく行政からも支援を受けて対応できるようになった。
「高山植物を持ち帰っちゃだめ、苔を踏み荒らしてはだめ、と言っても”なんでダメなのか”が頭で理解できないと行動は変わらないでしょう。苔への理解を楽しみながら深めてもらうことで、行動が変わってくれればと思います。」
苔の観察は雨のなかが一番キレイというのはよく知られている。水分を十分に得た瑞々しく濃く色づいた苔たちが、あたり一面に広がる。北八ヶ岳苔の会の観察会も雨の日でももちろん決行される。
「普通、山のツアーだと雨だと中止になったりしますが、苔の案内をはじめてから中止というものがなくなりました。むしろ、雨のほうが喜ばれる。雨予報でも電話の問い合わせがないですからね(笑)。」
北八ヶ岳苔の会では、GORE-TEXウェアをユニフォームとして採用する。
「今回お分かりになったと思うんですけど、苔の観察というのは歩き回るというよりも一箇所にいる時間が長いから、ずっと雨に打たれっぱなしなんです。そうすると沁みてくると困るので、GORE-TEXウェアをメンバーは着るようにしています。それに、動かないぶん寒くなるから風を防ぐ方法としても有効なんですよね。苔が一番美しい梅雨の時期はただでさえまだ冷え込みますから。参加者の方にも必携の持ちものとしてレインウェアはお願いしています。みなさん、立派なものを着られてますよ。」
最後に、山浦さんの思う苔の魅力について聞いた。
「5億年も前から生きていて一番原始的な植物だけど、一番優れている植物であるということでしょうか。単細胞でできているんですが、ひとつひとつ調べていくとすごく理に適っていて自然界に適応されているんですよね。まさにシンプル・イズ・ザ・ベスト。」
日本でも専門的で名の知れた学者は10人くらいしかおらず、苔はいわばマニアックな領域。未知なことも多い。
「苔の弱点は塩水なんです、不思議でしょう?海からあがってきた植物なのに。逆に、ニュージーランドの砂漠のような場所や南国にも生息しているんです。」
「観察会の参加者のほとんどの人が登山玄人ですよ。特に八ヶ岳を登っている人は苔に興味を持ちはじめ、より深く知りたいと思うようになってくる。そうすると山登りもさらに楽しくなりますからね。ピークに楽しみを見いだしつつも、その途中だって楽しいほうがいいに決まってますから。」
山浦さんが主人を務める「青苔荘」という名は、当時の高校生が駐車場から白駒池へと入ったときに見たその美しい風景から”静かなる青苔に出でて”という漢詩を連想したことから生まれたんだそうだ。
雨の日の美しい山を楽しむなら、北八ヶ岳へ足を運んでみよう。
まだまだ奥深い山の世界が待っているはずだ。
提供:日本ゴア
文:羽田 裕明
写真:大林 直行
協力:北八ヶ岳苔の会 / 青苔荘