子どもと山歩きをされたことはありますか?
子どもの山歩きでは身体づくりをはじめ、集中力や自然を大事にする気持ちを養う、といった事に期待が高まる親心もありますよね。
確かに、大人も子どもも山歩きの中で、心身ともに豊かな経験を積み重ねる事ができます。その中でも、今回は親から子へ心を伝える「共有体験」というところに焦点を当ててみたいと思います。
自然の中では、子どもは発見のスペシャリストです。何か発見があると、乳幼児でも声をだし、指をさしながら気持ちを伝えてきます。
たとえば、
「この花はなんて名前?」
「どうしてここはお山になったの~?」
という子どもの問いにドキッとしたことはありませんか。
大人が皆、自然の専門家ではありませんから、わからないことや、子どものわかる言葉でどう伝えたら良いのか悩むこともあります。
そんな時には「なんていう名前かな、すてきなお花だね」「本当に不思議だね、どうしてだろうね」というように、子どもの気持ちに寄り添うように会話を楽しめると良いそうです。そして、帰宅したあとに一緒に調べるのも良いかもしれません。
子どもの発見や伝えたい気持ちを認め、尊重することで、子どもは自尊心を養います。自分のことを自分自身で認め、自信の心が育ちます。
幼い子どもも、身近な大人や子どもたちの感情表現を見つめながら、まだ言語にならない心の動きを自分の中で確めているように見えます。
子どもの成長と共に、家族それぞれが会社や学校等にいる時間が増えてくると、一緒に過ごす時間も限られてきてしまいますよね。わが家も、平日は食卓を全員そろって囲むことが難しくなってきました。親子や夫婦が互いの気持ちを伝え合うことは、現代においてより一層大切になっているように思います。
山歩きは同じ目的にむかって歩みを進め、一緒に登る誰もが分け隔てなく同じことを体験します。そこが、親子で一緒に山を歩く良いところだと思っています。
体験を共有する場は、感情の共有の場でもあります。
山歩きの体験を通じて、五感で感じることはたくさんあります。そこから生まれる言葉や感情も多様になります。親子がお互いの豊かな感情に触れたり、家族の気持ちを確かめ合えるすばらしい場所だと思うのです。
自然の中にいると、大人も子どもの頃の思い出をふと思い出すことがあります。木漏れ日のやさしい光や、野の花を見つけたとき、いつもより素直に子どもに語りかけられる言葉があります。
山歩きの中では、あなたと一緒に感動したいという気持ち、自然を美しいと思う心、苦楽も共にする気持ち、成し遂げた後の喜びなど、やがてはそれらが「愛」となって子どもの心に残ります。そう言った、一つ一つの感情を手渡すチャンスがたくさんあるように思うのです。
子どもにとって、2歳の頃一緒に歩いた思い出は、10年後、20歳になったら思い出せないかもしれません。けれども、それは見えなくなっているだけで、記憶の引き出しの奥にそっとしまわれているはずです。見えないけれど、それは一生の宝物になるはずです。
幼い頃の共有体験は心の種です。種はやがて、自己を信じ、大切にし、励ます、生きる力になっていくと信じています。
次回は「自然から学ぶココロとカラダ」についてお話したいと思います。