『文脈登山』について語っていただいた前編記事はコチラ!
——そもそも、山や自然との出会いのきっかけ、原体験は何だったんですか?
宮城県仙台市で育ったのですが、子供の頃に川遊びや川釣りのために山に入ったのが原体験です。渓流釣りをするために山に入り、湖や沼にも行き、最後は海へと。
山を舞台に川が流れて、やがて海になる。そういうプロセスをぼくは釣りや川遊びを通じて体験していたんですね。当然その頃は、そんな風に意識はしていませんでしたが。
——はじまりは釣りだったんですね。釣りの魅力って何でしょう?
釣りって、餌とか仕掛けにも創意工夫がすごく必要で、かなりクリエイティブなんですよ。自然を相手にして、人間がその場で出来ることを試行錯誤して挑むっていう。まさに自然体験の原体験ですね。
——文脈登山のように、山や自然に物語が隠されていると気付いたのはいつ頃からなんでしょうか?
それはずっと後で、30に入ってからですね。憧れの東京に進学で上京して、ガシガシと仕事ばかりしていましたが、田舎生まれ田舎育ちの自分としてはどこかフィットしない感覚があって。ちょっと都会に合わせようとしていたっていうか。そんな時、たまたまですが宮城に帰る新幹線の中から見た雪の奥羽山脈を見てハッとしたんです。
そうだ、自分は小さい頃から雪をかぶった山を見たて育ったんだよなと。
そういう自然とか山からは、しばらく離れていたので。自然っていいな、山ってすごいなって、久しぶりに感じたんです。
——そこから再度自然に触れるように?
そうですね、ぼくは地図が好きなんですが、東京の地図を見ると実は身近なところに自然がたくさんあることにあらためて気付きました。
そこから東京近郊の山に行き始め、武田信玄や源頼朝のエピソードに「山」で出会うようになり。東京にはしばらく住んではいましたが、イメージが変わったというか。こんな面白さがあることを知らずして、本当の東京は語れない、まさに宝の山だって思いました。
——『文脈登山』の軸として、歴史と文化、というものがあると思いますが、歴史はどのように学ばれたんですか?
20代の終わり頃から、歴史小説を読み始めたんですよね。そこからどっぷりとハマって。小説の良さというのは、点ではなく線、ストーリーで時代や人の流れを知ることができるということだと考えています。小説や地域伝承で文脈を理解し、気になった場所をインプット、そして実際に山へ足を運んでみる。そんなことを繰り返していました。
——気になった場所ですか。普通の人だったら読み飛ばしてしまいそうな部分ですよね。
そうかもしれませんね。そこはご縁というか、目に留まった、気になったことは自分にとっては必然的な出会いなんだって思っています。そして実際にその山まで足を運ぶんです。そうしているうちに、山と歴史という別々に好きだったものが繋がっていきました。そこからは、山について触れられている文学にたくさん触れるようになり。
——小説や文学を起点に歴史を知って登山に、ということですね。特に影響を受けた本はありますか?
たくさんありますが、秩父を愛した方で東京近郊の山をたくさん取り上げている木暮理太郎の『山の憶い出』、日本の美について精通し言葉や表現が巧みな白洲正子の『近江山河紗』、それと岡本太郎の『神秘日本』あたりはとても良いです。もう本の中は引いた線だらけですよ。
山と文学、歴史は切り離せないですね。山は山だけでは語れないし、文学は文学だけでは語れません。ぼくにとっては、山と文学は一緒。自然と自然でないものを分断せずに捉えたいと考えています。
知的な旅である読書、そしてリラックス・リフレッシュとしての登山。これらを掛け合わせたら、もっと知的興奮が得られたり、次元の高いレジャーになったりすると思うんです。自分がそれをすごく楽しく感じたから、多くの人に知ってほしい。
この考えを分かりやすく表現したのが、『文脈登山』であり『低山トラベル』なんです。
——今回のここ四尾連湖の魅力というと何になりますか?
四尾連湖は富士八海(内八海)のひとつです。富士五湖というのは有名ですが、さらに三つの湖を加えた巡礼の地。完全な内陸湖、というのも自然の凄さを感じる魅力のひとつですね。風がなければ、湖面は揺らがずまるで鏡のようです。
四尾連湖って昔は神秘麗湖という字が使われていたんですよ。文字通り神秘の湖、ここに神様が宿ってると昔の人は考えたんだと思います。
じゃあなぜ神様が?と考えると、四尾連というのは龍の尾ことなんですね。四尾連湖からは蛾ヶ岳(ひるがたけ)という山に登れるのですが、その蛾ヶ岳から湖面に雲が降りてくるんです。その姿を四方に尾っぽを広げた龍と見立てた。その光景を見て昔の人は神様だと考えたのではないでしょうか。
自然=雄大、と思いやすいですが、四尾連湖には目に見えないものがいっぱいあるんです。仮に目に見えるものでも、自分では考えもつかないことが多い。だから見た目の雄大さだけじゃない、小さな自然の中でも、ぼくらの予想を超えた物語があったりするわけです。
東京の地図の話もそうですが、考え方や視点次第で、自然の捉え方は変わるんです。地図を見ただけでは、東京にそんな歴史的な山があるだなんて気付きませんよね。
ぼくは沖縄本島が好きでしばらく通っていた時期があるんですが、あそこも自然と歴史がすごく密接です。日常と非日常を分けるのがナンセンスというか。それも考え方次第で、非日常が日常でもあるんです。見た目がどうとかではなく、自分の気持ちひとつで自然の楽しみ方はガラッと変わります。
何をするにもまず考え方や視点があってのこと。これはぼくの中ですごく重要なポイントです。
——そういうのも小説を読み、歴史を学び、実施足を運んだからこそ得られた境地なのでしょうか?
そうですね、色々な本に触れて考え方が自在になったというか、スイッチをコントロールできるようになったと思います。これは山や自然に限らず、仕事や生き方においてもそうですね。思えば、考え方自体を考えていたのが30代でした。
——歴史を学び、自然を学んでいる大内さんにとって、自然とは?と聞かれたらなんと答えますか?
人間も文化も文学も、自然のひとつだと思うんです。人為的なものかどうかすらを超えたもの。そこにあるもの全てが自然なんだと思えてきます。
ただすごく大事なのは、常にぼくらはその自然の中で遊ばせてもらい、学ばせてもらっているということ。大いなる実験と挑戦の舞台、というのが山や自然なんだと考えることは大事だと思います。
前編・後編にわたって迫った大内さんの自然に対する考え方。今まで通りに登山をしていたり、週末のアウトドアを考えている中では触れることのできない考え方ではなかったでしょうか?
大内さんには、.HYAKKEIでその『文脈登山』についての連載記事、題して『文系登山をはじめよう』を執筆いただいています。是非この記事で学び、実際に足を運び、自然の新しい魅力、そして今まで感じられなかった日本を全身で感じてみてくださいね。
*取材協力
四尾連湖水明荘