日本には標高3000mを越える山が21座あります。一番低い山は聖岳。標高3013m。登頂のために歩く時間は、登りだけでも約9時間。
一番高い山はもちろん富士山。標高3776m。登頂には約5時間半以上かかります。
今回の主役「乗鞍岳」は標高3,026m。ここはなんと1時間半も歩けば頂上に着いてしまうのです。その秘密は乗鞍スカイライン。日本の自動車道としては最高地点の2702mまで到達できる道路。スカイラインが開通している間、年間約15万人もの人が集まります。
集まるのは登山客だけではありません。星空撮影マニアに、高山で生きる動植物を観察する生態系マニア。標高差1500mの坂道を自転車で漕ぎ上がるヒルクライムマニア。もちろん、世界中から観光客もやってきます。
そんな乗鞍岳の自然を守るのが、岐阜県乗鞍環境パトロール員。今回はその瀬戸祐香さん・切手加代さんに、乗鞍岳をご案内頂きました。
乗鞍岳のバスターミナルのほど近く、少し下るとそこにはお花畑が広がっていました。
風が止むと、なんとも言えない、お世辞にも良いとは言えない匂いがむわっと僕らを包みます。ふと下を見ると黒いお花がありました。
切手さん「これがクロユリ。この匂いでハエをおびき寄せます。」
編集部「ハエですか?蜂ではなく?」
瀬戸さん「蜂は他のライバルの花に全部取られたんです。」
切手さん「寄ってくるのはケブカクロバエ。最盛期には背中がまっ黄色になるぐらい花粉をつけて飛び回っていますよ。」
瀬戸さん「ケブカクロバエに蜜を分ける変わりに、クロユリの雌花は雄花に受粉してもらい自分達の子孫を残しているんです。」
すごいですね。クロユリ、子孫を残すため、他の花とは違う匂いを出し、蜂ではなくハエに協力してもらっているんです。
瀬戸さん「これはホシガラスがハイマツの実を食べた跡です。」
瀬戸さん「秋になると喉がぷっくり膨れたホシガラスの姿が見られますよ。飛んでいる時も、喉がぽこんとハイマツの実で膨れていて重そうです。」
編集部「鳥も喉に実を貯めるんですね。リスみたい。」
瀬戸さん「喉に貯めた実を標高が低い森の木の皮の隙間に詰め込んでとっておいたり、標高の高いハイマツ帯の近くに埋めておいたりします。雪が多い冬もあれば、少ない冬もありますから、リスク分散しているんです。」
瀬戸さん「ホシガラスに食べられなかったハイマツの実が春になると芽を出して森が作られます。」
編集部「ホシガラスが森を作っているんですね…」
瀬戸さん「ここにときどき現れる熊は、親離れをした亜成獣と呼ばれる大人と子供の間の熊たち。黒のラブラドールぐらいの大きさです。本当は木の実がたくさんある標高の低い森の中にいたいのですが、そこは強い大人たちの居場所。大人になりたい熊たちは、競争相手も少ないここまで餌を取りに上がってくるのです。」
切手さん「熊はシナノキンバイ、ハクサンボウフウなどの高山植物の新芽が美味しい時期を知っていて、その時期を見計らってあがってきます。山を登るのに楽なのは、人と同じようになだらかな稜線。そこは熊の通り道になっています。」
瀬戸さん「下界が暑くなると少し大きな熊も涼みにあがって来ます。大きな熊と小さな熊がお花畑で遠く離れてゆっくり高山植物を食べている時もありますが、小さな熊が大きな熊の存在に気づくと『ビクッ!』と慌てふためいて逃げていく様子も見られるんですよ。」
熊同士の適正な距離を守りながら、大人になるために多少のリスクを抱えてでも3000mの厳しい自然環境の中に入ってくる熊たち。生態系の頂点に君臨する熊でさえ、ここではやはり必死で生きていました。
瀬戸さん「まだ若い熊たちが、雪の滑り台で頭から滑って遊ぶ姿を見られる年もあります。それはそれは可愛いものです。けれど、一度ヒトに危害を加えると殺処分しなければいけません。私たちはあんなにかわいい熊たちを殺したくないんです。」
切手さん「熊には言葉が通じません。だから、熊が出た時は言葉の通じるヒトに帰り道を変えてもらい、熊との適切な距離をとってもらうようお願いしています。」
切手さん「ここはもともと熊や植物たちが生きてきた場所。そこにヒトがお邪魔させてもらっています。その中で植物や動物たちを守りながら、訪れた人たちにも楽しんでもらえるように努めたいです。」
環境パトロール員の日課に朝のパトロールがあります。大きなハンドベルを持って、カランカランと鳴らしながら歩きまわります。「おはよう。朝が来たよ。もう少しでヒトがたくさんやってくるから、ここらへんから離れた方がいいよ。」そう熊に呼びかけるように歩くのだそうです。
10年程前までは高山植物を持っていってしまう人たちもたくさんいました。それを防止して貴重な高山植物を未来に残すのも二人の大切なお仕事。
切手さん「立ち入り禁止の場所に入ってしまう方もいます。せっかく来てくれた人たちになぜ入ってはいけないのか理解してもらいながら、不愉快にさせないのは難しいです。たまに周りの方がそういう人を注意してくれるのですが、そんな時はとても嬉しいですね。私たちがやってきたことが、だんだんと浸透してきたのかなって。」
瀬戸さん「以前は環境パトロール員として登山道の整備も行っていたのですが、最近は環境保護や自然案内がメインになってきたので、浸透してきたのはその影響もあるかもしれませんね。マイカー規制をはじめてから、みなさんの意識も徐々に変わってきているんだと思います」
お二人に聞いたお話はクロユリ、ホシガラス、クマだけではありません。イワヒバリ、ライチョウ、コマクサ、チングルマ…たくさんの植物、動物達の生態を教えて頂きました。それらの植物・動物達、はたまた、瀬戸さん切手さんにも共通していたのは、「なんとしてでもここで生きていく覚悟。たくましさ。」
乗鞍岳、3000mの世界は、決して植物・動物・ヒトにとって楽園と言える場所ではなく、むしろ生存には厳しい環境です。
そこで生きる動物・植物・人たちのたくましいやさしさに触れることで、僕らはそれぞれにとても大切なギフトを頂ける気がします。
乗鞍環境パトロールセンターやバスターミナル内案内所では手書きの散策マップを10日毎に更新して配っています。
その時その時の見頃のお花がどこに咲いているのか、登山道の注意点、ライチョウの居場所、クマを避ける方法等、乗鞍岳をより深く楽しめる情報が満載。これも、瀬戸さんが手書きで作っているというから驚きです。
ぜひ、乗鞍岳を訪れたら動物・植物・人の想いがつまったこのマップを手に3000mの大自然を楽しんでくださいね。きっとあなたにも大切なギフトが贈られること、間違いなしです!
(写真:茂田羽生)