夏が来―れば思い出すー♪
と、この旋律を耳にすると、誰しもが高原や湿原を思い浮かべると思う。ぼくの場合は、それが尾瀬ではなく、北信や霧ヶ峰あたりの湿原だったりする。特に北信の“妙高連峰”と呼ばれる頚城山塊には、よい思い出が多い。
この頚城山塊には巨大な高山が集まっている。中でも妙高山、火打山、焼山の三座を頚城三山と呼び、その中心となるのが最高峰の火打山。標高2462mの日本百名山で、花の百名山でもある。
この山はとにかく姿がよい。稜線はたおやかで大きく、惚れ惚れするほど山肌が優しい。日本屈指の豪雪の山が生み出す無数の池塘は、初夏のころから高山植物が賑やかで、その点でも数多のハイカーを虜にする。
山上の“高谷池”と、さらに山頂の真下に広がる“天狗の庭”はとりわけ美しく、水面に映る「逆さ火打」は見事。これを見たら、天狗だって虜になるだろう。
われわれ人間がこれを見るためには、笹ヶ峰からの長いブナ林を越え、急な十二曲がりを越え、展望がひらける富士見平を越えていく必要がある。すると、富士見平の先の樹林帯で、ようやく火打山が姿を現してくれる。ここで迂闊にもワクワクしてしまうけれど、美しき高谷池、そして天狗の庭はまだ先だ。
この焦らされる感じを、深田久弥は著書・日本百名山の中で「火打の真価値はそれに近づくに従って発揮される」と評している。少しずつ近づきながら、山深くまで来た者だけが味わえる優美な山容の愉しみ方を書き残してくれている。この山に行く前には、ぜひ目を通しておこう。
そうして高谷池にたどり着き、さらなる絶景へと伸びる木道に心が躍る。あの山頂の真下に“天狗の庭”があるんだと、期待は膨らむばかりだ。歩を進める度に、少しずつ明らかとなっていく火打山の山容。深田久弥の文章を噛みしめる。
そうしてどんどん目に飛び込んでくる別世界級の光景に、疲れていたはずの足取りもどんどん軽くなる。この軽さ、この世かあの世か、そんなことまでわからなくなってしまうほどの別世界だ。
つい足を止めて、うっとりと見惚れてしまいそうになる“天狗の庭”だけど、雷鳥平から山頂までの稜線歩きだって最上級。北信や北アルプスの山々、そして日本海。眼下に視線を向ければ、これまで歩いてきた“別世界”までの道のりも見渡せる。
……こうして書いているだけで、あの夏の素晴らしい山行を思い出してしまった。ここもまた、もう一度歩きたくなる道なのだ。