ひとたび人の手が入った山は、そのあとも人がケアし続けなければ荒れ果ててしまう。山は人の範疇を超えた偉大な存在であるのと同時に、ずっと昔から人と共にしてきた存在でもあります。
今回お話をうかがった、チーム下呂富士代表の松野泰啓さんは、一枚の絵を見せてくれました。
70歳を過ぎる松野さんの伯母さんにもらったという、何十年も前の下呂富士と麓の街並みを描いたもの。
「こんな景色を取り戻せたら」
松野さんの情熱は、チーム下呂富士として今では多くの仲間を集め、下呂を盛り上げています。
標高1,500メートル級の山に囲まれ、その山頂からは御嶽山の絶景を拝むことができる、登山と温泉の名所、岐阜県下呂市。そのなかで、その輪郭から通称「下呂富士」と呼ばれる中根山の標高は767メートルと低く、かつて林業の山として人々に活用されていました。
しかし、やがて林業も廃れ、徐々に人が入らなくなった下呂富士は、荒れた山へと変わっていきます。
「下呂富士には登りたいとはずっと前から思っていたんですが、“地域げんき未来塾”で登山道整備をするまでは、登ったことがありませんでした。登ってみたら驚くほど倒木ばかりで……これはどうにかしないとって思ったんです」
松野さんは、下呂市出身。大学から名古屋へ行き、仕事で東京でも勤めたのち下呂にUターン。福祉の仕事をしながら受講した地域げんき未来塾の最後のテーマに、下呂富士の登山道整備と登山会開催をリーダーとして掲げました。
「下呂富士はもともと”登山をする山”という概念がなかったんだと思います。どちらかというと眺める山。林業が盛んになる前は広葉樹にあふれ、紅葉や桜もきれいだったそうなんですが。けど、ぼくはこの下呂富士にすごく可能性を感じていて」
「下呂市周辺は標高が高くて眺望も素晴らしい山がたくさんあるんです。ただ、登山をやらない人がいきなり登れるかっていうと道具も持っていないし腰が引けるだろうなと。そういう人でも気軽に登れ、観光客も楽しめる。スニーカーでも大丈夫なハイキング以上<登山未満のいい山はないかという考えでいたところ、下呂富士がぴったりだって感じたんです」
松野さんの想いは、塾生や地元の仲間、市外・県外の方からも共感を得て、多くのひとを巻き込んでいきます。地域げんき未来塾が終わった後も、この取り組みは継続すべきだと「チーム下呂富士」を結成。その活動はこれまでに合計5回の登山会、小学生を対象にした登山への協力が1回。普段の登山道整備と継続して行われています。
「登山口の近くまでは車で上がらないといけないんですが、登山客用の駐車場がなくて。当たり前ですよね、それまであまり登る山としては考えられていなかったので。だから、近くにあるお寺の住職さんにお願いして、そこの駐車場を登山客も使用できるようにしてもらったんです。住職さんも快く受け入れてくれました。今では、登山前のお参りをここでして、登山口に向かうというひとつのコースになっています」
さらに登山口の手前には、歴史ある温泉旅館「湯之島館」の敷地を通ることになるのですが、ここの通行も下呂富士登山客については許可をもらったのだそう。
企画や広報、交渉、事務的な立ち回りが多い松野さん。チーム下呂富士にはそんな松野さんと下呂富士を支える仲間がたくさんいます。
「副代表の矢嶋さんは塾で出会ったんですが、僕とは真逆の人で。趣味が草刈りで、とにかく体を動かしていないと嫌だっていう人間なんです。細かい登山道の看板や焼き印も全部自分で作ってくれましたし、ガイドブックも彼の手作りです」
「この取り組みで、西のルートも開拓したんですが、それも矢嶋さんが積極的に動いてくれました。矢嶋新道って名付けてもいいんじゃないかってくらい実働を担ってくれていて、主役は彼だと僕は思っているんです」
この新しい道は、JRのさわやかウォーキングのコースとしても利用され、1日に250もの人が登ったそう。自分たちが開拓し、そこを実際に人が歩くことで道となる。それを肌で実感したんだそうです。チームには日本山岳ガイドの方もいるそうで、イベント時には山についてのより深い案内をしてもらうなど、チームのみんなが得意なことで力を出し合って下呂富士を盛り上げているといいます。
「活動をしはじめた頃に、チームでワークショップを行って、下呂富士を盛り上げるためのリストを作ったんです。ひとつひとつ実現していっているのですが、山頂にベンチを設置したのがトピックスですね。
立ち上げ当時は、立てた看板が抜き捨てられていたこともありショックだったと話す松野さん。それでも実に多くの人がこの取り組みを応援してくれており、ある方からの言葉がとてもうれしかったといいます。
「下呂富士というのは、向かいの幸田地区側から見た姿が富士山に似ている、ということから名付けられているんですが、その幸田地区に住む方に言われたんです。小さい頃からこの山は眺めることしかできなかったけど、70歳を過ぎてはじめて登ることができたよ、ありがとうって。これは本当にうれしかったですね」
身近にずっとあったのに眺めるしかなかった山が、登れる山に。そういった地元住民の夢が叶うのと同時に、松野さん自身が大好きなアウトドアを楽しむきっかけ作りにも下呂富士は貢献しています。
「下呂富士は現状、山頂に立っても驚くような眺望ものぞめません。だから、この山に登ることで、自分でも山登りできるかもって思ってもらえたら、もっと眺望のいい山を目指してほしいなって思います。まだ保育園の僕の娘でも登れる、この下呂富士を通じてアウトドアや登山の入り口として達成感や楽しみを味わってもらえたらいいんです。必死になって登らなくていいからおしゃべりしながら登ったり、オリジナルのブレンドコーヒーやスイーツを山頂でふるまったり、気軽に楽しむことをこの下呂富士で体験してもらえたらなって思います」
これまで6年近く下呂富士を盛り上げる活動をしてきた松野さん。最後に松野さんがチームとして下呂富士で実現したいことをうかがいました。
「直近では、下呂富士が地元の小学生たちの遠足の舞台になって、彼らにとってなじみの景色になるような場所になってくれたらなって思っています。あとは隣の御前山までの縦走コースも作りたいですし、長いスパンで言うと昔の広葉樹の山の姿に戻したいなって思っています。眺めても美しい、登っても楽しい下呂富士をみんなで作っていけたらと思いますね」
松野さんのお話を聞いて、日々眺めることができて、登ることのできる身近な山の存在があるという素晴らしさに羨ましさを覚えます。きっと古来の日本人はそんな暮らし方をしていたんだろうと思うと、まだまだ山の楽しみ方はそこら中に広がっているに違いありません。
(写真:藤原 慶)