登山情報

嵐の稜線上の山小屋で、日本メイドのリキュール『星子』に癒される|山とお酒のエトセトラ #01

低山も3000mを越える南北アルプスも、もちろん海外のトレイルだって、季節に合わせたお酒を携えて臨めば山行はもっと楽しくなる。テント泊に小屋泊り、山で過ごす夜をとっておきのものにしてくれるお酒のおはなし。

白馬三山の魅力といえば、北アルプスらしいこんな景観

数年前の9月下旬のこと。山仲間から「知り合いの雷鳥パトロールが白馬鑓温泉に滞在しているから、白馬岳に遊びに行こう」と誘われた。猿倉から大雪渓を経て白馬岳に上り、杓子岳、白馬鑓ヶ岳という白馬三山を経て鑓温泉へと至るルートは、短いながらも立山連峰の景観と雪渓、温泉と、山歩きの醍醐味を一度で味わえる。高山植物の宝庫であることから「花の白馬岳」とも呼ばれる、北アルプスの王道&定番人気の山だ。特に秋口の白馬は山の上の方に雪が降りはじめ、中腹は紅葉で赤く染まり、山裾のグリーンと合わせて一つの山が3つのグラデーションに染められる。いちばん見応えのある季節ということもあり、おなじみの白馬岳に向かった。

大雪渓を超えると現れる岩場のトレイル

雪渓を超えてダイナミックな眺望を楽しみながらの山歩きは格別だ。その日は快晴、多くの登山者が秋の山行をのんびり楽しんでいた。

様相が変わってきたのは、大雪渓を超えて傾斜のきつい岩場の道から小雪渓に差し掛かるころだった。まず、風向きが変わった。分厚い灰色の雲が立ち込めると、ちらほらと白いもの舞い始める。と思ったら、あっという間に本降りの雪になった。みるみるうちに山肌が白く染まる。

かろうじて頂上宿舎までたどり着いて暖をとった。油断した。快晴だったし、雪が降ってもおかしくない季節とは言え、ここまで降られるとは思わなかった。お互いに防寒着や雨具はばっちりだが、友人はあいにく薄手のグローブしか持ってきていない。これ以上降ったらまずいかも、なんて話をしていたら、鑓温泉で落ち合うはずだった雷鳥パトロールに偶然、出会った。「降りましたね」「寒いね」なんておしゃべりをして、夕方、鑓温泉で宴会しましょう!と別れた。彼らは頂上をまわってから鑓温泉に降りるという。

一方、私たちは悪天候もあって頂上は巻くことにし、稜線を杓子岳方面に向かった。雪はしんしんと降っていた。この天気での稜線歩きは避けたいなあと思いながら足早に進む。

晴れていれば、こんな眺望も……

杓子岳までの稜線を半分ほど来ただろうか、雪が凶悪な嵐になった。ホワイトアウト寸前。突風混じりの風のせいで、いくら着込んでも震えるほどの寒さだ。友人は薄手のグローブ一枚で、指先の感覚がないという。結局、這々の体で白馬岳との分岐点まで戻り、予定になかった小屋泊まりとなった。白馬山荘の入り口は私たちのような避難客でごった返し、受付には長蛇の列ができている。なんとか部屋にはありつけたものの、予定外の出費で所持金がほぼゼロになった。

小屋の地下にある素泊まり客用の自炊室で友人と二人、ひもじい思いでお湯を沸かす。食料袋にあるのは行動食の残りが数回分と、幻となった鑓温泉での宴会用の酒の肴だけ。さて、何のお酒を持ってきたっけ……と別の防水バッグをあけたら、予期せぬものが入っていた。空き瓶に詰め替えたハードリカーと別に、梅のリキュールが入っていたのだ。

残念な感じの、自炊室での宴会風景

このリキュール、和歌山で採れた梅と、数種のスパイスをウォッカに浸けこんだもので、名前を「星子」という。年に一度、梅の季節に仕込まれて、11月に「ヌーヴォー」としてお目見えとなる。この前年、ふとした縁でこのリキュールの産みの親であるバーテンダーと出会い、彼の言葉に耳を傾けているうちにすっかり虜になったのだ。

“梅リキュール”と表現するのは、味わいも香りも完全に洋もので、梅酒とは全く異なるから。ふくよかな甘さと梅の酸味のバランスに、ベーススピリッツであるウォッカが効いている。何よりも際立っているのは香りだ。甘やかで、シナモンやクローブ、そしてアニスだろうか、どこかエキゾティックなスパイスの香り。ハーレーでの野営を趣味にしていたバーテンダーが作っただけのことはあり、アウトドアとのマリアージュが最高であることはすでにキャンプで実証済みだ。山にも合うだろうとは思っていたが、どうやらザックに忍ばせていたらしい。

外遊びの魅力を知るバーテンダーが作った「星子」

自炊室の中もぐっと冷えていたから、アルミのチロリに星子を入れ、お燗にしてお湯で割った。温めると自炊室いっぱいにスパイシーな香りが立ち込める。

「なんのお酒?」

香りに誘われたのか、隣で調理していたソロの男性登山客が話しかけてくる。一杯のホット星子と彼のおつまみを物々交換し、友人とひっそり、宴会を始めた。

冬場の山行にチロリは必須

この日に飲んだ星子は本当においしかった。冷え切った身体と五臓六腑にじんわりと染み渡るような滋味深さだ。吉田健一は「だから、酒を飲んでいれば、春なのである」と綴っていたけれど、この夜、その境地をまるまる体感した。お腹も空いたし、行動食をもっと持ってくるべきだったと後悔しきりだったけれど、梅とスパイスの優しい香りに癒されて、なんだか幸せな気持ちに包まれる。雪が降って、こうして小屋の中で一夜を明かせ、とびきりエレガントなリキュールをホットカクテルに仕立てて乾杯する。これ以上の幸せってあるだろうか、と。

翌日は快晴、白馬大池方面に下山した

星子で身体もすっかり温まった。自炊室の窓からふと外を見やると、いつの間にか雪は止み、空いっぱいに小さな星がきらめいていた。この日以来、星子は山行のお守りになった。

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ライター:
倉石 綾子

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