ピークハントだけが登山ではない。
文字通り、山を“辿る”ことでその山、自然、ひいては日本を学ぶことができる。そんな『文脈登山』を提唱するのが、低山トラベラーの大内征さん。
登山を、日本をもっと面白くしてくれる大内さんとは、一体どんな人物なのか?
お話を伺った舞台は、大内さんが好きな場所のひとつ、山梨県の四尾連湖。彼の山や自然の楽しみ方の考えに前編・後編にわたって迫ります。
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——まずはじめに、『文脈登山』とはどんな考え方なのか教えてください。
文脈登山とは、その土地に伝わる歴史や文化といった物語を辿りながら山歩きや山旅を楽しむ、という登山のスタイルです。特に低山にはその魅力が隠されていることが多いので、低山トラベラーと名乗って活動しています。
——文脈登山における低山の魅力って何でしょうか?
低山における登山道というのは、歴史と密接に絡んでいたりします。たとえばこの登山道は、かつて鎌倉時代に源頼朝が歩んだ道であった、ですとか。日本史において戦や旅のシーンというのは数多く登場しますが、その舞台が低山だったりするわけです。「源頼朝が歩んだ道を今歩いている」と思うとちょっとロマンチックですよね。
——景色を楽しむ、というよりもそこで刻まれている物語や、根ざしている文化というものを楽しむ登山、というイメージでしょうか。
まさにそうですね。登山、というと山頂の絶景を目指すピークハントを想像しがちですが、それだけじゃないんですよね。もちろん高山でのピークハントも魅力の一つではありますが、登山を通じて感じられること、学べることは他にもたくさんあるんです。それを伝えていきたい。
——確かに、ピークハントの場合は「どの山に登った」「ここの景色がすばらしかった」といったことがメインで語られる印象です。
もちろん、登山のプロセスでそれぞれ色々なことを感じていると思いますが、文脈登山はそういった“点の登山”ではなく、“線で山を楽しめる”のが大きな魅力のひとつですね。
——線、というと?
ひとつの歴史を辿ろうとすると、山をいくつも“辿る”ことになるんです。この山では、ある歴史上の人物のこんな物語があり、その次にその人物はあっちの山に登った、ですとか。点としてひとつの山だけで完結するのではなく、文字通り、山を辿っていくんです。そうやって高さや景色だけではない切り口で山と向き合うと、山がもっと面白くなりますよ。
たとえば、この子安神社には、木花咲耶姫(このはなさくやびめ)が祭られていると記されていますね。この木花咲耶姫が鎮まるとされているのが富士山なんです。
富士山本宮浅間神社は全国にある浅間神社の総本山で、木花咲耶姫は浅間大神と称されています。この木花咲耶姫について辿っていくだけでもたくさんの山や土地が浮かび上がるのですが、こうやってひとつの神社やお寺から物語を辿ることだってできるわけですね。日本にはこうした山や寺社仏閣城郭がたくさんあるんですよ。
——そんな視点で山を登ったことなかったですね。ひとつひとつの山に物語があると思うと、身近にある低山や里山でもすごく興味が湧きますね。
そうですね、特に人間の営みが届く低い山には、このような物語が多いんです。
白洲正子さんの『自然を活かしているのは言葉なのだ。或いは歴史といってもいい。』という、ぼくが大好きな言葉があります。自然≒文学であり、そこで語られているのは歴史なんですね。この言葉はぼくにとって非常に重要なことを示唆してくれました。
だから、自然を楽しむ、ということは、つまり自然から学んでいることであり、さらには日本を学んでいる、ということなんです。ぼくは登山ガイドのような山の専門家ではありませんし、歴史を研究する学者でもありません。好きなことの語りべとして、その山、そこにある自然から紡がれた物語に着眼して、皆さんに山の魅力をお伝えしていこうと思っています。
——四尾連湖を歩いているだけでも、既にいくつかの物語を知ることができました。確かにそれは学びであり、歴史を知ることに繋がりますね。
例えば、高速道路とかで「あ!富士山だ、綺麗だね」という話にはそれ以上には発展しませんが、「あ!富士山だ。木花咲耶姫っていう絶世の女神が祭られているんだよね」と話すと、一気に膨らみが生まれますよね。自然を活かしているのはまさに歴史であり、それを表現するのが言葉ということなんです。
自然≒文学、歴史や文化というキーワード。そして山を線で辿るということ。
このような山への新しいアプローチに、大内さんはどのようにして至ったのでしょうか?
後編では、よりその深いところ、大内さん自身について迫ります。
*取材協力
四尾連湖 水明荘