「御柱祭」というお祭りをご存知ですか?
長野県諏訪市にある諏訪大社を中心に、八ヶ岳エリアの市町村が集まり開催される、数え年で7年に1度のお祭りです。八ヶ岳より切り出した16本の大木を里までひっぱり、諏訪大社の上社(本宮、前宮)、下社(秋宮、春宮)に4本ずつの神木として建てます。
その始まりは平安時代以前とされ、起源は縄文時代まで遡るという説もあります。古事記に登場するタケミナカタが国を追われて諏訪湖畔まで逃げ、そこに結界を張ったという神話伝説や、縄文時代に行われていた“トーテムポール”説や、かつて諏訪大社にあった神殿のための柱であった説など、起源については様々な諸説があり、まだはっきりとしたことは分かっていないようですが、八ヶ岳から大木を切り出してくるなど、日本古来より存在する山岳信仰との関係はとても深いようです。
運ぶ柱を各エリアの代表がくじ引きで決め、その地区の住民が“曳き子”となり、総出で引きます。
柱の重さは10トン以上。
それを人の手だけで運ぶので、この曳き子の数だけでも膨大な人数が必要となります。祭りのメインとなる期間は、観衆も入れると数十万人もの人が訪れるので、南信州の人にとってはオリンピック以上の存在。
土日は様々なところで、柱を引く練習や準備が行われ、御柱祭の一か月前から、町中どことなくソワソワしている様子が伝わってきていました。
そんな歴史ある伝統行事にご好意で参加させてもらえることに。
僕が住む富士見町から、会場となる茅野までの移動は電車で。観光客含めて数十万人が集まるお祭りです。普段は余裕で座れる各駅停車も、この日は朝の山手線の通勤ラッシュばりにすし詰め状態です。
茅野駅に着き、法被を着て会場へ。そして自分たちの地区の御柱が引かれる通り道へと向かいます。
自分たちが引かせてもらったのは「本宮三」という柱。先頭には本宮三を担当する地区の旗が立ち並びます。僕らが住んでいる「立沢」の旗も。
実際の御柱の近くは、このために練習を積み重ねてきた専門の人たちが引くので、自分たちは綱の一番先頭の方に混ぜてもらい、短い綱を括り付けて引っ張ります。
御柱の重さは約10トン。それにさらに人が何人も乗った状態で引かれるわけですが、これほどの大木も、これだけの人が引けば動くんですね。実際に引きに参加すると、掛け声に合わせた物凄い人数の力によってグイグイ引っ張られ、ずるずると柱が動いていきます。
さらにVの字になった部分に人が乗り、左右に振ることで抵抗を軽減し、引きやすくしているそう。
休憩をはさみながら引っ張っていくと、メイン会場へとつながる先に大きな丘が見えてきます。この丘から10m以上はある坂を、人が乗ったまま一気に御柱を落とすのが、「木落とし」という、御柱祭の見せ場の一つです。
(ちなみに今回は“上社”の木落としに参加しましたが、“下社”の木落としはより危険です)
先頭の方を引っ張っているだけでも、この木落としはかなり危険だそうで、現場には独特の緊張感と高揚感で包まれています。
小さな子供や小柄な女性は綱の重さと圧力に巻き込まれ、怪我をする恐れもあるので、ここで一旦離れます。
その場の勢いで引っぱってきてしまいましたが、坂の近くまで来てみると、今度は自分が坂の下に向かって引っ張られるような感覚になり、恐怖感が高まります。
実際に坂の上まで来てみるとこの景色。一瞬時が止まったような感覚!ジェットコースターが坂に差し掛かった時のあの一瞬の浮遊感(乗り物には乗ってないですけど)!
そして一気に下りへ。
綱の重さとそれを引っ張るたくさんの引手の重量で、自分も下へ下へとどんどん引っ張られ、綱につかまっているのがやっとの状態です。
砂埃にまみれながらなんとか下まで降り、後ろを振り返ると、坂の頂上に本宮三の御柱が現れました。坂の下から見る御柱は、何人もの人が乗った砲台や要塞のよう。
柱が落ちる手前のところで停めながら、曳き子によって日本の伝統的労働歌“木遣り”が歌われると、何万もの観衆がそれに応えるように掛け声を上げ、会場のテンションは頂点に。
坂の上に上がっていた赤旗が白旗に変わり、ついに木落し開始!曳き子によって一気に柱が坂を下り落ちます。
地鳴りと砂煙をあげながら、御柱がこちらに近づいてくる姿は圧巻。倒れたり途中で止まってしまうこともなく、きれいに坂の下まで落ちきりました。
落ちた後も群衆のテンションは上がりまくり!
残念ながら次の見せ場である“川越し”は見られませんでしたが、木落としの興奮を見届け帰路へ。
これまで僕はお祭りというものに参加する機会があまりなかったのですが、
“お金を払って観る=Spectate”という体験以上に、“一緒に参加する=Participate”という体験がいかに凄いかを肌身で感じることができました。
砂埃を落としながら帰りに立ち寄ったラーメン屋で、隣のおじいさんたちから聞こえてきた会話の中に、とても印象的な言葉がありました。
「祭りはさ、普段は別々の方向を向いている何千もの人がみんな同じ方向を向いて一緒になって参加して楽しめるんだよ。素晴らしいことだよな。」
はるか昔からずっと行われてきたこの祭りが、中心的な存在としていかに諏訪と八ヶ岳の人たちを結び付けてきたかが、よく分かった体験でした。